日本人と英語

なぜ日本語ではお金の話をしにくいのか

2020年3月6日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英語の発想・日本語の発想」からテーマをいただいて議論をしていますが、第四回目のテーマは「日本語での金銭に関わる話」についてです。

日本人は基本的に金銭に関わる話をしたがらないということに異論をはさむ人は多くないと思います。

私自身も、ビジネスの場では必要な時にはお金の話をしますが、それは少なからず抵抗を感じながらというのが正直なところです。

ですが、これが英語を使っての国際ビジネスの場ですと、その抵抗は日本語で行う時に比べて圧倒的とは言わないまでも、かなり低く感じられるところが不思議に感じます。

この感覚がどうして生じるのか、今までずっと疑問に思っていましたが、本書にそのヒントがありましたのでその部分を引用します。

「英語なら仕事の報酬などいくらくれるのかを聞くのは何でもないことだが、日本語だと、そういうことを口にしにくいというのだ。一つにはgiveにあたる丁寧語が日本語にないからで、困るのは外国人だけではない。日本人も困った挙句に新しい言い方を作り出した。『猫に餌をあげる』『赤ちゃんにミルクをあげる』というようなのが、少しも珍しくなくなったが、こういう言い方が生まれたのはそう古いことではなく、30年前までははっきり誤りとされていた。今でも、赤ちゃんにミルクをあげるのはともかく、猫にまで『あげ』なくてもいいと、この語法に否定的な人がないわけではないが、ほとんどの人が『やる』というのこそ乱暴である、と感じている。『あげる』は『やる』の謙譲語で、自分を低める言い方だが、これを口にしている人たちは猫に対して自分をへりくだる必要があると思っているわけではない。『やる』というむき出しの言葉を避けた丁寧な表現が好ましいのである。つまり、『あげる』は謙譲語ではなくなって、丁寧語になったと見るべきであろう。『やる』の謙譲語を使いたいのなら、『差し上げる』とすればいい。」

今までずっと疑問に思っていた私にとっては、これは非常に大きな発見でした。

答えは「長い日本の歴史の中で、ついこの間まで、giveという「ものの移動」を表す動詞を丁寧に表現する形が存在していなかったから」ということのようです。

つまり、お金のことであるから本来的に「やる」という乱暴な形はさけたい、しかも自分を低める「あげる」も使いたくないという二つの気持ちが働くのは当然です。

そうなると、「丁寧語」を使いたくなるわけですが、なぜかそれにあたる動詞が存在していないわけですから、もはやこの表現をするためには、乱暴になりがちなのを承知で「お金をやる」みたいに使うしかなく、結果、日本語ではお金をgiveすることにまつわる話はしにくいものになっていたということです。

最近許されつつあると言われる「あげる」を丁寧語として扱うという方法が、今後より人口に膾炙していくことになれば、もしかしたら、日本語においても「お金の話」が当たり前のものになっていくのかもしれません。

ですが、自分の実感として、この抵抗が完全になくなるのはそう簡単ではないだろうなと感じています。

 

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