かつて日本語にも現在完了形は存在した
2022年5月11日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「英文法再入門」からテーマをいただいて書いていますが、第四回目のテーマも第三回目に引き続き「現在完了形」です。
前回は、「現在完了形ほどその本質を理解しないで分かったフリをしているだけの学生が多いことに驚かされる文法項目はない」というところから、その問題に迫りました。
ただ、そのような理解がされにくいという理由を考えるとそれも仕方のないように思えてきます。
というのも、英語には「現在完了形」という文法項目が存在しているのに、日本語にはそれがなく、過去に関連した表現としては「過去形」のみで対処しているという母国語の性質があるからです。
しかし、それも実は甘えに過ぎないと叱られてしまいそうです。
なぜなら、著者は実は日本語にもかつて「現在完了形」に相当する文法項目が存在していたという事実を私たちは中学・高校で学んでいることを明らかにしているからです。
以下に該当部分を引用します。
「高校時代の古文の授業を思い出してみてください。その中に『き』『けり』『つ』『ぬ』『たり』『り』というものがありました。『き』『けり』は過去、『つ』『ぬ』『たり』『り』は完了を表しました。しかし、日本語は現代までの長い時間を経るうちに、すべて『た』に集約されたのです。これはつまり、『た』には過去の意味と完了の意味がごちゃ混ぜになって存在しているということです。この結果、私たちは、違いを強く意識しないまま、この二つの意味と関わっています。別の言葉として分かれていないものはどうしても違いに無自覚になるものです。」
「外国語を学ぶことで母国語をより深く理解することにつながる」とはよく言われることですが、母国語のかつての形である「古文」を学ぶことでも実はそれと同等、いやそれ以上に深い理解につなげることができるということを肝に銘じたいと思います。
ただここでもう一点、次のような興味深い事実を著者は指摘されています。
「実はアメリカ英語では現在完了の意味をあらわすのに過去形で済ませることが多くなってきています。この傾向が続けば、いずれは現在完了形が消滅して過去形だけになってしまいます。実際、日本語をかなり深く学習したアメリカ人に、日本語の『恋しちゃったんだ(今恋愛中)』は『I have fallen in love.』と『I fell in love.』のどちらで表現するべきかと尋ねると、『両方OK』という回答を得られました。」
そうなると今度は、なぜイギリス英語ではなくアメリカ英語でこのような傾向になっているのかが気になってしまうのですが、これに対する著者の次の指摘がまた大変面白いのです。
「現在完了には『歴史』の意味が込められています。もっと言えば、『過去を引きずった現在』を表現するものです。その意味で言えば、歴史のない(短い)アメリカにおいて歴史を表す現在完了が好まれないのは自然なことかもしれません。国家の性質がその国民の話す言葉に反映されているというわけです。もちろんこの説の妥当性について完全な立証はできないのかもしれませんが、言葉を学ぶことの面白さ、言葉の奥深さが大いに感じられる現象ではないでしょうか。」
その視点で考えると、アメリカよりもずっと長い歴史を持つ日本の言葉である日本語において、アメリカ英語をよりもずっと早い段階で「歴史」を捨てるという「所業」が行われたということであり、日本語はそれはそれは大きな過ちを犯してしまったのではないかと思えてしまいました。