母語で科学できる幸せ
2018年6月29日 CATEGORY - 日本人と英語
以前に書籍紹介ブログにてご紹介した「日本語の科学が世界を変える」からいくつかテーマをいただいて書いていこうと思います。
第一回目の今回は、アジアでほぼ唯一日本人だけが享受できる「母語で科学できる幸せ」について考えたいと思います。
本題に入る前に、少しだけ私たちのサービスに関する話をさせてください。
ランゲッジ・ヴィレッジでは、ここ何年も一般社団法人日本実用外国語研究所(JIPFL)と共同で「しなやか英語辞典」というサイトを運営しています。
このサイトは、皆さんの生活の中で、「こういう日本語表現はなかなか辞書では調べにくいけど、英語ではなんというのだろう」という日本語を発見されたらすぐに、それをこの辞典に投稿していただくことで、LVがあなたの質問文で外国人講師から聞きだした「しなやか英語」を動画にてご紹介するものです。
このサイトのコンテンツ作りをしている中でいつも感じることがあります。
それは、私たち日本人が日本語の表現に感じる「しなやかさ」を、その日本語に対応した外国人が表現する英語に感じられないということです。
何というか、日本語でしっくりくる表現が、英語だと、意味としては理解できても「しなやか」ではなく、どうにも「しっくり」こないことが多いのです。
なぜ、本題に入る前にこの話をしたのか。
それは、この「しっくり」感こそが、「母語で科学できる幸せ」につながるのではないかと思ったからです。
本書では、このことについて次のように書かれていました。
「養老孟司博士の講演会を私の隣で英国生まれのユダヤ人で日本に長期駐在している男が聞いていて、講演会が終わった後、彼は『おもしろいなあ』とつぶやいた。それで私は彼に聞き返してみた。もし、この養老博士の話を全部英語に翻訳したとしたら、この日本語のような広い豊かな世界を表現できるだろうか?すると彼はうなってしまった。『翻訳できるかどうかということではなく、もし先生の話を英語に翻訳してしまったら、とてもつまらない話になると思います。日本語のニュアンスというよりある種の世界観とか話の進め方も含めて独特で豊かな世界が表現されているのだと思う』という答えだった。」
この感覚は、私が「しなやか英語辞典」の作成時に感じる「しっくり」感の問題と同一のものではないかと思うのです。
つまり、外国語を使って何かをするということは、「しっくり」感なくそれをするということであり、常に「借り物」の道具でやっている感覚だということです。
この考え方で「日本人の科学」を見てみると、日本人は「しっくり」感を伴いながら西欧人以外で「科学」ができている非常に稀有な存在だということになります。
もちろん、当然ですが西欧人も同じように「しっくり」感を伴いながら「科学」しているわけですが、それではどこまで行っても世界の科学のメインストリームの見方しかできません。
マイナーな日本語という西欧語と全く文化背景の異なる言語で「科学」するということは、彼らのメインストリームな見方とは異なる、彼らからすると『おもしろいなあ』と思える視点から「科学」することができるということなのです。
このことを「幸せ」と思わずして何とする。というのが著者の本音のようです。
そして私も著者に100%同意します。