「現在形」という名前は間違い?
2023年9月3日 CATEGORY - 日本人と英語
今回は書籍紹介のネタとは無関係に、私が普段から問題意識を持っている項目について書きたいと思います。
それは、動詞の「現在形」という名前についてです。
かなり前に「仮定法という名前は間違い?」という記事を書いて、文法学上の命名の失敗によって学習者の理解を妨げている問題を指摘しましたが、それと同じようなことがこの動詞の「現在形」についても言えるのではないかということです。
I teach English in my school.
この英文の時制は何かと聞かれたら、誰もが迷わず「現在形」と答えるでしょう。そして、それはなぜ?と聞かれたら、これは過去でも未来でもなく「現在」のことを表現しているからとも答えるでしょう。
しかし実際には、この発言はほとんどのケースで発言者が「teach」以外のことをしているときに発言している、つまり今現在teachはしていないはずなのです。
例えば、初めてあった人と会食中にあなたの仕事は何?と聞かれたことへの回答としてこの発言をするかもしれません。でも今しているのは「eat」であって「teach」ではないでしょう。ですから、私はこれを「teach」の現在形であるというには無理があると言いたいわけです。
実は、私は中学の三年間くらいは、ずっとこのことが「もやもや」して、苦しい思いをしてきました。高校に入って自分で詳しい文法書を読んで、以下のような説明を見つけ、ようやく苦しみから解放されました。(笑)
以下、自分なりの解釈も含めその説明をしていきます。
では、「現在形」は何を表現するための時制なのでしょう?
それは、「習慣」です。
近いか遠いかは別として、過去も定期的にその動作をしてきており、未来もそうすることを前提としていることを表すものです。
もし、「いま現在teachしている」ことを表現するなら、
I am teaching English in my school.
という具合に「現在進行形」にする必要があります。
しかし、これは、teach run swim eatなど その動作が一度限りで終了する動詞(ほとんどすべての動詞ではありますが)、すなわち「動作動詞」に限ります。
一方で、動詞にはほんのわずかですが、「状態動詞」という状態を表す(その動作が継続することを前提とする)動詞が存在します。
しかも、その状態度合い(継続の前提の強固さ)はそれぞれの状態動詞でグラデーションのように異なります。
具体的には、その状態度合いが最も高い、究極の状態動詞が「be動詞」です。
そもそもこれは「=(イコール)」を表しているわけですから、それがかなり強固に継続することが前提となっているのは当たり前だからです。
そしてその次に「know」あたりがくるでしょうか。
一度知ってしまったらそう簡単には頭の中から消すことはできないわけですから。
続いて、「love」とか「like」でしょうか。
これらは、knowほどではないにしても一度好きになってしまったらそう簡単にはやめられない。
恋愛が時に苦しくなるのはそのためでしょう。
その次あたりに「live」かな?生活の場所は変えようと思えば変えられますが、恋愛ほどではないにしても、多少精神的ハードルは感じられるでしょうから。
これらは、今現在の状態のこと(ただし、それはある程度継続することが前提)を表現しているわけですから、「現在形」という名称はドンピシャのものです。
だからこそ、これら「状態動詞」はよほどのことがない限り、「現在進行形」にはしないという説明ができるのです。(あくまでもグラデーションですから、live なんかは現在進行形の形もかなりみられるはずです。)
このような説明ができる以上、学校英文法は中学の時点から「動作動詞」と「状態動詞」の区別をもっと丁寧に教えつつ、時制に関しては、従来「現在形」と呼んでいる概念を廃止するべきだと思います。
そして、従来の現在形を「習慣形」と「(狭義の)現在形」の二つに分け、前者に「動作動詞」を適用し、後者に「(狭義の)現在形」を適用するようにすべきです。
そうすれば、「現在(今のこと)」を表しているわけではないものに対して「現在形」という名称を押し付けることを続けるよりずっと合理的だと思い至りました。
また、現在進行形にならない動詞となる動詞があることの理解も圧倒的に進むはずです。
ということで、「仮定法」という名称に続き、この「現在形」という名称についてもそれが指し示す概念の本質をついておらず、その文法学上の命名の失敗によって学習者の理解を妨げているということを世の中に強く訴えたいと思います。