「瞬間英作文」とは
2024年12月8日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「英語上達完全マップ」からテーマをいただいて書いていますが、第三回目として、本書で紹介されている実際のトレーニングから、学校教育において扱われることのない方法を見ます。
学校教育において扱われることのない方法とは具体的には「音読」と「短文暗唱=瞬間英作文」の二つですが、前者の「音読」に関しては以前にも「音読の目的とは何か」「音読の効果発言の実感」「音読王」などの記事にて取り上げていますので、ここでは後者の「短文暗唱=瞬間英作文」を取り上げることにします。
*音読の具体的なトレーニング方法についてはこちらをご参照ください。
「音読」が英語を受け入れる体質を作るとともに、英語のストックのすそ野を広げる役割を果たすのに対し、「短文暗唱=瞬間英作文」は英文を即座に作るための瞬間英作文回路を自分の中に組み込むためのものです。(もちろん、この回路に乗せて音読で蓄積した英語のストックを活用できるようになります。)
もう少し具体的にその目標を述べれば、「中学英語の英作文が文法項目別にスムーズに口から出せるようにすること」です。
そして、そのトレーニングに必要な要件は以下の通りです。
①簡単な文を数多く用意すること
我々がまず身に着けるべきは、平易な文を瞬間的にかつ正確に作ることのできる能力です。日本文ですらすらっと口から出てこないような文を長時間かけて作っても意味はありません。効果を上げるには簡単な文を素早く一つでも多く口から発していくことです。
②スピード、滑らかさを重視すること
言いたいことが瞬時にバネ仕掛けのように口から出てくる回路を作るためには、スピーディー、かつ滑らかになるまで口に収めなければなりません。適切なテキストを使いながら、十分な効果が上がらない人はこの部分を飛ばして英文がとりあえずできたところで満足してさっさと次の文に移ってしまっているのです。したがって、短文は自分にとっては簡単に理解できるレベルのものを使います。ちょっと考えて分からなかったら答えの英文を見て良く理解し、繰り返し口にする必要があります。
③暗記しようとしないこと
意識的なゴリゴリ暗記は禁物です。一回で強引に暗記しようとしないことです。なぜなら、それは短期記憶と言って学校のテストなど一時的にことを乗り切るためのものになってしまうからです。外国語を駆使するために必要な力とは、文法・構文・語彙を永久に忘れず、瞬時にアクセスできる長期記憶としてストックされなければならないからです。自分の名前、家族の顔、仕事場への道順のように繰り返しによる刷り込みによってのみ得られる記憶とする必要があります。
では、そのような簡単な文を多く作るにはどうしたらいいのでしょうか?
それには以下の三段階ごとにテキストを変えて利用することで対処します。
まず第一段階では中学英語の文型・文法項目別の例文集など英文を組み立てること以外の一切の抵抗を排除できる単純な文を使用して英作文回路の設置をします。
続いて、第二段階では中学英語の教科書ガイドや高校入試用の長文問題集の訳文など、1文の中に複数の文法要素が含まれたものを使用して英作文回路の強化を図ります。
最後に、第三段階では、中学英語という枠を取り払い、あらゆる構文・表現を吸収するため、大学受験用の構文集などの訳文を活用し、英作文回路の強化から表現の拡大に比重を移します。
それぞれの段階で共通して重要なのは、何度も何度も「サイクルを回す」(繰り返す)ことで、最終的に「瞬間的に英作文する」ところまで到達させることだと著者は強調します。(このようにして使えるようになった文法のことを「運用文法」、ただルールブックに書かれたことを知っているだけの文法を「規範文法」と言います。)
これには本当に驚きました。
というのも、私たちランゲッジ・ヴィレッジが「文法講座」の中の各文法項目のインプットとその後に行う「英文作成トレーニング(どんな文でも最終的に1分程度で完成させる)」はまさに、「分かる」から「できる」への橋渡しであり、その後の「国内留学」における会話トレーニングが、その1分でできる英作文を瞬間的(0.5秒)にできるようにするものであり、両者のコンセプトは全く同じだということに気づかされたからです。
*LVの文法講座では、その文を各文法項目の段階ごとに自らの力で日本語を作らなければならないという意味でよりハードなことを要求していると思います。
いずれにしても、学校(マス)教育でできるのは、文法・構文が「分かる」というところまでで、このように実際に「できる(使える)」ところまでのトレーニングまでを求めるのは授業の構造として無理があります(つまり、学校教育だけで使えるようになるというのは幻想で、そもそもそのようにデザインされていないということ)がよく分かるかと思います。
その意味で、本書はこのように英語を実際に体にしみこませる過程の必要性をこれ以上なく明確に提示する非常に貴重な一冊だと確信しました。