日本人と英語

英語で考えるということ その1

2015年5月10日 CATEGORY - 日本人と英語

eigo

 

 

 

 

 

 

 

先日、フィニックス英語学院の創設者、松本亨氏の「英語と私」という著書をご紹介しましたが、彼は「英語で考える=Think in English」の提唱者です。

そこで、今回は彼の英語教育における「英語で考える」という考え方について考えてみたいと思います。

まず本書においては、彼がこの考えに行き当たるきっかけとなった以下のようなエピソードが書かれています。

「私は、大学のESSの代表になるなど国内の英語発表会では軒並み優秀さを誇っていました。そんな時期に、非常に大きなショックを受けることとなる出来事が起こりました。あるアメリカ人同士の立ち話(いわゆる、ノーマルスピードもしくはそれ以上の早口)がほとんど聞き取れなかったという経験がありました。『本当の英語は、自分にはまだ分からないのだ!』私は非常なショックを受けて、すっかり考え込んでしまいました。一体、今のやり方は、何が不足しているのだろうか。そして、真剣にその原因について自己分析を行った結果、以下のような結論に行きわたりました。第一は、私はアメリカ人の先生の話すことを聞き取って、それを一度日本語に直していた。向こうの言うことは、文章ごとに頭の中に保留してからそれを訳していたのである。だから、文章が完全に聞き取れないと、意味が完全に分からないことがあった。第二には、それに対する返事を考えて、次にそれを英語に直していた。そして、英語に直すときは、やはり一つの文章全体を一応英語にしてみて時制とか、単数・複数、それに伴う動詞の変化および冠詞や発音の問題などをいちいち検討しないと完全な返事にならなかった。これだけの操作を2~3秒のうちに頭の中でやってしまわないと返事にならない。いくら苦労してもいつも完全な返事ができない状態であった。これが結論である。(一部加筆修正)」

このような結論を導き出した著者は一大決心をすることになります。

「英語で考える」ようになるまで英語に習熟する努力をするということです。「意識的」に英語を話す段階から、「自動的」に話す段階、具体的には喧嘩の最中や夢を見ているときにも英語を利用することができるレベルにまで自らを高める、すなわち英語を母国語である日本語と全く同じように使いこなすまでに習熟することを目標として設定したのです。

そのためには、意識的に「勉強」するということではダメです。

もちろん、やり方を工夫すれば、一時的にはそのようなレベルにまで到達することはできるでしょうが、常にそのレベルを継続することは、その状態を「習慣」にしなければなりません。それではじめて、その目標を達成することになるからです。

しかし、この英語の使用を「習慣」にすることが日本人にとっては本当に難しいことなのです。どのくらい難しいかは、この本に書かれた著者のエピソードを振り返ればよく分かります。

ですから、このレベルを日本人に対して一般論として求めるのは意味がないことだと思います。いやむしろ、遠すぎる目標はむしろより日本人を英語から遠ざけることに繋がり、マイナスでさえあると思います。

ですから、大部分の日本人にとっては英語はあくまでも道具であり、必要な人が必要なだけ身に着けるべきものにすぎないということを一般の認識として共有し、「必要な人が必要なだけ身に着ける」ことができるような環境を担保することが必要なのです。

それは、まさにランゲッジ・ヴィレッジが行っていることです。

必要最低限の英語知識が頭に入っているという条件さえあれば、英語の使用を「限られた期間」ではあっても「習慣」にすることによって「必要な人が必要なだけ身に着ける」ことを可能とする環境の提供です。

日本人が英語と健康的に付き合う上で、最も大切なものであると考えています。

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