日本人と英語

英語の難しさとは何か

2026年5月3日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログでご紹介した「英文法以前#358」からテーマをいただいて書いていきますが、第一回目のテーマは「英語の難しさ」についてです。

本書には、英語を学び始める前に英語の全体像をとらえ、どの部分がどのくらい簡単なのか、もしくは難しいのかを明らかにするという大きな目標がありました。

英語はシンプルなので基本的に外観上は日本語と比べ「簡単」に見える部分が多いのですが、今回は珍しく英語だから「難しい」と思われる部分である「前置修飾と後置修飾」を取り上げます。

日本語は「修飾」と言ったら(形容詞的にも副詞的にも)全て前から飾りたいものを飾るという「前置修飾」のみです。

例えば、

私は美しいを捕まえた。(形容詞的)

おばあさんはゆっくり歩く。(副詞的)

ユミはケンと踊った。(副詞的)

幼少時に、私は神戸に行った。(副詞的)

この部屋には幽霊が出たというがある。(形容詞的)

しかし、英語は「前置修飾」と「後置修飾」の両方があり、そのことが上記のように日本語には「前置修飾」しかない日本人にとっての「英語の難しさ」があります。

ただし、He walked slowly.  I danced with Meg.のような副詞的なものについてはそもそも心配する必要はありません。なぜなら、基本的には動詞は一つの文に一つしかなく、かつ副詞、副詞句はどこにおいてもいいというルールとともに教わるものだからです。

問題なのは形容詞的なものです。例を出してみましょう。

I caught a beautiful bird.  I often play tennis. 

これらは前置修飾ですが、

All the people present cried.

このような後置修飾の例があるのです。

ここで、presentという単語には名詞としての「贈物」、動詞としての「贈る」以外に形容詞としての「出席している」や「現在の」という複数の品詞およびその意味が存在していますが、これらの選択肢の中から即座に「出席している」という形容詞であって、「前置修飾」ではなく「後置修飾」であるという「判断」をすることができる人は少数です。

ちなみに、形容詞における前置修飾と後置修飾それぞれ前者が「恒久的、本質的にその性質を表す場合(限定する機能)」で、後者が「一時的な性質、文脈で特定された限定的な性質を表す場合(説明する機能)」という意味の違いがあります(詳細はこちらの記事を参照)。

この場合ですと、後置修飾ですからこのpeopleは常に出席している人々ではなく、(何らかの会場にその時一時的に)出席していた人々ということになります。

また、修飾語と被修飾語が近いところに存在していない場合、何が何を飾っているのかが分かりにくく、それを自分で「判断」する必要があります。例えばこれら、

(1)I wiped off the watch that my uncle gave me as a birthday present.

(2)I wiped off the watch that my uncle gave me with my favorite handkerchief.

(1)に関しては修飾されるgaveのすぐ後に修飾するas a birthday presentが存在しているのですぐに判断可能ですが、(2)に関してはwiped with my favorite handkerchiefが離れすぎていて、(1)ほど当たり前には二つの修飾関係を見抜くことができません。

その時に必要なのは、①「被修飾語はすぐ近くにあるとは限らない」ということを常に頭に入れておくこと、②「すぐ近くにある単語との間で飾り飾られる関係がしっくりこなければ、より前方の方に被修飾語があるのではないか」と疑う癖をつけること、すなわち「意味から判断する」ことをいかに素早く行うことができるかを追求するトレーニングを行うことです。

ポイントは「意味から判断する」ことです。

それは日本語で考えると理解できます。

(1)きのう私は近所の道路で、お父さんの革の財布を拾った。

(2)きのう私は近所の道路で、ワニの革の財布を拾った。

この二つの文のうちの「お父さん」と「ワニ」はそれぞれ全く同じ場所に、全く同じ名詞という品詞として置かれているのにもかかわらず、私たち日本人は、「お父さん」と「ワニ」が修飾する被修飾語が、前者は「財布」で、後者は「革」であると瞬時に理解することができます。

それは、日本人である私たちが、「お父さん」と「財布」、「ワニ」と「革」が修飾語と被修飾語の関係として相性がいいという意味の関係を判断するトレーニングを幼少期から大量に行っているからです。

つまりは、「英語の難しさ」を克服するためには、このような地道な努力が日本語と同じ分量とまでは言わなくとも必要だということなのです。

ただ、このように学習前に理解と覚悟を促すことで学習者を迷子にさせない効果を本書は十分に発揮してくれていると思います。

 

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