「英語力」=「基底能力」+「駆使能力」
2024年12月4日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「英語上達完全マップ」からテーマをいただいて書いていますが、第二回目のテーマは、「英語学習の方程式の中身」です。
書籍紹介ブログの中で、英語学習のロードマップを以下のようにご紹介しました。
① 文法・構文・語彙などを知識として学ぶ。
② 学んだ知識を使うための回路を作るトレーニングをする。
③ 可能な限り英語を使う場を作り、①②で培った「基底能力」を「駆使能力」に変えていく。
つまり、これを方程式のように表記すれば、「英語力」=「基底能力」+「駆使能力」というようになると思います。
今回は、方程式の右辺にある「基底能力」と「駆使能力」を取り上げます。
まずは、「基底能力」についてみていきたいと思います。
一定の年齢になってから学習と訓練により英語を身に着ける場合、英語を自由に使用するための基盤となる力が必要になりますが、このことを著者は「基底能力」と呼んでいます。
この力は、上記ロードマップの①文法・構文・語彙などの「知識」と②その知識を円滑に活動させるための「回路」の二つを合わせた概念です。
具体的には、日本の中学高校での英語は一般に知識の蓄積だけを行い、英語の使用回路の開発は行われないので、①文法・構文・語彙などの「知識」の段階でストップされています。
ですから、英語を得意科目として難関大学に合格した人でさえ、一般的には簡単な英作文が口をついて出てこなかったり、大量の英文を迅速に読みこなせません。
(私は、大学一年生の時にオーストラリアのマクドナルドでハンバーガーを買うことができないという体験をし、その時のショックがLVを作る原動力となりました。)
本来は、その後に②その知識を使うトレーニングを行い英語回路を作る必要があるのです。
ただ、このような回路の設置に関しては、インターラクティブなトレーニングが必要となるので、学校教育の範疇ではなかなか実施が難しいので仕方がない部分はありますので、このロードマップを理解して、自発的にそのような機会を得に行くという姿勢が重要になってきます。(その意味では、学校はできる範囲のことはやっていると考えてもよろしいかもしれません。)
具体的には、英作文を瞬時に行うトレーニングやその反対に英語を日本語に訳さず英語の語順のまま聞いたり、読んだりするトレーニングを行うことです。
この点、私が主宰する「文法講座」では、ビデオによる知識のインプットとそれまでに習った文法項目すべてを使用した日本語文を作りそれを英語に直すというトレーニングを全20回繰り返しますが、まさにここでいう①と②のセットを全20回繰り返すことそのものだったことから、著者のこの指摘に感動を覚えた次第です。
ここまでで身に着けられる力が「基底能力」ということになります。
つづいて、「駆使能力」について見ていきます。
「基底能力」が身に付いた段階で最終段階である③すなわち①②で培った「基底能力」を実践的に英語を使うことで可能な限り場数を踏み「駆使能力」に変えることで最終的に「英語力」がつくことになるのです。
当然ですが、ランゲッジ・ヴィレッジの「国内留学」はここにフォーカスしたサービスです。
ただ、注意すべきは、「基底能力」をどこまで伸ばすのかによって、最終的な「駆使能力」が規定されてしまうという点です。
例えば、インプット中心の英語の基礎トレーニングを熱心に積んで高い基底能力を持っていてTOEIC800台後半、しかし英語を実際に使う機会がほとんどないAさんと、学習的なことが嫌いで実践英会話専門でTOEIC500前後だが限られた語彙・表現と怪しげな文法でもかなり有効な会話ができるBさんがいたとします。
この時点で二人を比較すると、Bさんの方が「駆使能力」は高く、周りからも英語力があると思われます。
しかし、この二人が全く同じ状況の下英語圏で1年間過ごしたら、Aさんの「駆使能力」は圧倒的にBさんのそれを上回るのは確実です。
(ランゲッジ・ヴィレッジが国内留学コースへの参加条件として英検三級満点合格もしくは準二級通常合格を要求し、そこに満たない方には「文法講座」の5泊もしくは2泊コースを受講するように促すのはそのためです。)
著者は、「本場で英語のシャワーを浴びれば見る見るうちに英語が話せるようになる!という宣伝文句は実はこのような基底能力を(十分に)備えた人だけに当てはまるのです。」とおっしゃっていますが、私もその点では全く同じ考えをもってランゲッジ・ヴィレッジを運営してきました。
最後に、著者はTOEICというテストはあくまでもリーディングとリスニングの実力を直接的に測定して、もライティングとスピーキングの力まで含めた英語力全体の能力を間接的に推定するものであるため、この「基底能力」を正確に把握するためのものだと考えるべきだと言っています。
これについても私の「TOEICについての考え方」と等しく、私が独自に「SEACT」を開発した理由と重なるところです。