日本人と英語

言語の多様性の本質

2020年8月30日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「共通語の世界史」からテーマをいただいて書いていますが、第五回目の今回は、いよいよ本書の主題である「多様性の維持こそが、統一性を生み出す酵母である」という言葉の本質について迫ってみたいと思います。

本書には、どう考えても矛盾しているとしか思えない「多様性」と「統一性」の融合という難しい概念の説明を大きく二つのまったく別の角度から説明しています。

まずは一つ目の見方。

「複数の言語を使いこなせる能力は、他の階層よりも教養階層で多く見られる。教養人というのは、ある場合には人生の中で何度か自らの言語を代えつつも、そのたびに以前の言葉の使用を保持し続ける者のことを言うのである。彼らは、二つの単語の形態の違いに惑わされることなく、それらの意味の共通部分にも気づくことができる。そのような二重の能力によって多言語話者は錯綜する言語コードを解きほぐしつつ、普遍的なるものの伝令者として現れるのである。」

これは、ヨーロッパでよく見られる多言語をかなり深いレベルで使い分ける人たちに見られるものです。

そして、もう一つの見方。

これについては、意外にも外国語が好きで好きでたまらないけれども、どうしても上記のヨーロッパ人のように深いレベルまで身に着けることができない私たち日本人の姿勢がその象徴的な例として挙げられています。

「自分に固有の言語を自分の国で使用したいという、誰もが持っている正当な欲望を認めるための唯一の解決方法はその地に赴くよそ者が現地の言語を知ることである。このやり方は日本で広く用いられている。日本人は外国語に対する好奇心が強いので、少なくとも今のところは、自国語と外国語の優位性を争ったりしない。ともあれ、適切な時期に必要な選択をすることができるなら、明日のヨーロッパは、実際に多言語を使用するものの数を増大させるような言語教育を打ち立てることができるだろう。」

上記の通り「日本人は外国語に対する好奇心が強いので」と言われて、これをそのまま誉め言葉としてとっていいのか、かなりの躊躇を感じざるを得ませんが、少なくとも後半の「少なくとも今のところは、自国語と外国語の優位性を争ったりしない。」という指摘はそのまま素直に受け取ってもいいように私は思います。

非ネイティブがある言語をネイティブのようにペラペラ話せることは、「教養」でもなければ「優位性」でもありません。

日本に来る外国人の多くは、日本人に道を尋ねるにしてもいきなり共通語である英語で訪ねてくることが多いです。

一方で、日本ではドイツやフランスに行ったら少なくとも、ガイドブックの後ろに書かれているその国のフレーズを使おうという姿勢を持っている人の割合は決してい低くないと思われます。

その上で、著者が言う「日本人が言語的多様性のお手本である」という言葉を私たち日本人が躊躇なく受け取ることができるようになるためには、日本語という「母国語」と英語という「共通語(外国語)」との間を決して上手ではなくとも堂々と「行き来」することができるようになることが重要だと思います。

その「行き来」とは、言い換えれば普段は母国語を大切にしながらも、個々が必要と判断した時には、その母国語による思考力を存分に発揮することで、その必要性に応じて英語を適宜身に着けるということだと私はとらえました。

私たち日本人は、少なくとも後者の見方で「多様性」と「統一性」の融合を実現するしかないことは明らかです。

ですから、私たちランゲッジ・ヴィレッジは、個々の日本人が「必要と判断した時に、日本語による思考力を存分に発揮することで、その必要性に応じて英語を適宜身に着ける」ことができる場所としてこれからも機能していきます。