
身体・空間の表現は難しい
2021年1月6日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「理想のリスニング」からテーマをいただいて書いていますが、第五回目のテーマは、「身体・空間に関する表現」です。
「身体・空間に関する表現」とは、簡単に言うと「滑った転んだ」の表現です。
私はこのことの重要性については誰よりも強烈に認識しているとの自負があります。
その証拠に私の自著「富士山メソッド」の冒頭では以下のような指摘をさせていただいております。
「突然ですが、次の二つの文章を英語で言うことができますか?
A:セーターを裏返しに着てしまった。
B:日本政府は北朝鮮に政治的圧力をかけるべきだ。
実際にランゲッジ・ヴィレッジに滞在中の生徒さんに答えていただいているのですが、皆さんBは正解できても、Aを正解できる方は1割もいません。でもちょっと待ってください。AとBを日本語で比べれば、どう考えてもBの方が複雑な内容なのにもかかわらずです。(中略) ランゲッジ・ヴィレッジの仕事はBの文章しか言えない人をAの文章も言えるように手助けすることです。」
では、なぜ一見身近で簡単なはずの「身体・空間に関する表現」は難しいのか、そのことを非常に論理的に著者が説明をしてくださっているので、以下にその部分を引用したいと思います。
「外国語で比較的身に着けやすいのは自国語と一対一で対応する用語の体系です。例えば、法律とか文藝、料理など。それらは完結した体系をなしているのでそれを丸ごと輸入すればよい。」
まさに、上記の私の例「日本政府は北朝鮮に政治的圧力をかけるべきだ。」などは、ここで言うところの「政治」という完結した体系だから、そうなることが分かります。
「難しいのは、独立した体系をなしていない、もしくは体系に穴が開いている場合です。とりわけ身体感覚が出発点にあるものは、『生きた私』がその状況に巻き込まれていることが前提で使われる語です。それらは自分自身が英語的な感覚を受け入れ、身に着けていないとなかなかうまくいかない。言語が閉じた体系ならその記号の位置を頭で理解すればいいわけですが、身体感覚はそうした体系の外から割り込んでくる。だから頭だけではなかなか習得しきれないのです。自分自身の経験を振り返ってみると、英語で用がたせなくて苦労したのは、たいていは身体感覚や空間の延長が絡んでいる時だったように思います。『あのビルの裏からちょっと入ったところにあるパブ』とか『こことここを折り曲げて差し込むと、ほら、うまく入った』なんてことを言われると途端に分からなくなる。ましてや自分でそうした空間感覚を表現するのはすごく難しい。空間が関わる表現は机上では勉強しにくいのです。そもそも勉強という手法がなじまない。状況の中に身を置きながら、身体的体験の一環として言葉を覚えていくしかないのです。そして、このような実技的な状況を作るのは骨が折れます。これらを学ぶには音声だけでは十分ではないということです。」
私は自著を書いた時点からこの本を読むまでこの問題自体を発見することはできても、その問題を分析してきちんと言語化することはできていませんでした。
ところが、本書ではその私が言いたくても言えずに「モヤモヤ」していたものをすべて的確に言語化してくださっています。
ただ、的確にこの問題を言語化できる著者であっても、
「このような実技的な状況を作るのは骨が折れます。これらを学ぶには音声だけでは十分ではないということです。」
とその問題解決の困難性を否定されていません。
そこで、少しだけ自画自賛をさせてください。
私は、著者のようにこの問題についてここまで的確に言語化はできませんでしたが、実際にこの問題の解決方法として、ランゲッジ・ヴィレッジにおける「国内留学」という手法を世の中に提案し、2004年から16年間にわたって実践し続けてきた点においては誰にも負けないと自負しています。
実際に、著者が述べられている「こことここを折り曲げて差し込むと、ほら、うまく入った」というような身体・空間的な表現を徹底的に学ぶようなレッスンは、2004年のランゲッジ・ヴィレッジ創業まもない時から定番として存在しています。
(ウェブページ参照:サイトには紹介されていませんが、対象説明能力に分類されるFoldingというレッスンがあります。)
このことを誇りにしつつ、これからも引き続きこの難しいミッションに取り組んでいきたいと思います。