日本人と英語

もし教科書が「ジャック&ベティ」でなく「カムカム」だったら

2021年12月15日 CATEGORY - 日本人と英語

(「英語会話」ラジオテキスト第1巻)

以前にご紹介した「カムカムエヴリバディ」からテーマをいただいて書きたいと思いますが、第一回目のテーマは「教科書の内容の必然性」についてです。

少し前に「永遠のジャック&ベティ」という記事にて、日本の英語教育における中学の教科書の「奇妙性」を取り上げましたが、今回本書において平川唯一氏のラジオ講座のテキストの詳細を知ることができたことによって、タイトルのようなどうしようもない願望を抱いてしまいました。

というのも、私はその記事の中でその「奇妙性」すなわち「あり得ないシチュエーションに言葉をのせる」ことを仕方がないこととして受け入れざるを得なかった理由として

① 中学生の思考力・常識力と全くゼロからスタートする英語の語彙・文法のレベルのミスマッチ

② 英語と日本語の言語的距離

という二つの理由をあげつつも、「それだけでもなさそうでその部分の解明に多くの労力を注ぐようにしています。」として継続的にその原因の追究をしていく意思を表明していたのですが、本書において紹介されていた平川氏のテキストの内容がまさにその部分に大きく迫るものだったからです。

それは、③ 日本と欧米の文化的ギャップによる文脈的距離です。

実際に、平川氏の「生きた英会話を題材にして」書かれたテキストによって、①の「中学生の思考力・常識力と全くゼロからスタートする英語の語彙・文法のレベルのミスマッチ」とシチュエーションの「必然性」は両立できるという事実が明らかにされていました。

以下、本書よりその該当部分の画像と文言を引用します。

「平川はテキストを全てオリジナルに書き下ろしていた。第一週のテーマはTaro and Father(太郎と父)。場面はアメリカの家庭ではなく、日本の父子の話である。早朝、父が太郎を起こす。起きてきた太郎は、父に約束のボール遊びをしようと言うが、父はまず顔を洗ってラジオ体操をしてからだと促す。第一号は以後、『花子と父』『太郎と母』『かるた会』と続くが、いずれも身近な話題ばかりで、少しも外国の場面や話題は出てこない。平川が『生きた英会話を題材にして』ということはこういうことであろう。『太郎と父』の朝の光景は、たいていの家に見られるもので、彼にその通りではないとしても、容易に想像がつく。つまり、平均的日本人の日常の場面で繰り広げられる会話を英語で構成しているのである。」

ただここで気になるのは、①の「中学生の思考力・常識力と全くゼロからスタートする英語の語彙・文法のレベルのミスマッチ」とどう両立させるのかというところですが、次の様に続きます。

「『英語会話』テキスト30冊を分析した結果、使われている英単語は1721語で、このうちの600語が全体の実に9割を占めているという。現在の中学生が三年間で学習する英単語は約1000語とされるが、ほぼそのレベルで『カムカム英語』は自在に構成されているともいえる。一方、特に初期の放送の中で、英語と日本語の違いには丁寧すぎるくらいの対応をしている。」

この点、「大杉正明のWhat’s New Today?」の記事で見たように、平川氏のラジオ講座「英語会話」における後輩である大杉正明氏もこのポリシーを確実に受け継いでおられることが分かります。

「歴史にifはない」とは言いますが、この事実を知ってしまうとどうしても「if」と思ってしまいます。

 

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