日本人と英語

カッコの心理

2021年11月17日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英語文章読本」からテーマをいただいて書きたいと思います。

テーマは、「()カッコ」についてです。

本書は、文学作品などに多く含まれる「高尚」で「まどろっこしい」英文に対してどのようにアプローチしたらよいかを、著者の「読み」を追体験しながら学べるようになっています。

その中の一つの章に、その「まどろっこさ」の一つの原因になるであろう「()カッコについて」があります。

なにもこれは、英語に特有ということではなく、日本語にもほぼ当てはまることになると思われますが、著者の解説がなんとも軽妙で、かつかゆいところに手が届くような「しなやか」な表現で書かれていました。

英語学習に資するためとの「日本人と英語ブログ」の趣旨とは少し異なってくるかもしれませんが、非常に興味深かったので以下に引用させていただきます。

「カッコの心理とはどのようなものでしょう。例えば私たちは日本語で文章を書く時には、いつ、どのような理由でカッコを使うか。何かを言っておかなければならない、でも、わざわざ本文で言わなくてもいい―これがまずは第一義的な用法かもしれません。あまりいろんなことを言うと、文の流れが乱れ、話の筋も見えにくくなるから、重要度の低いところはカッコに押し込み、読者の注意が逸れないようにする。必要な人だけ参照してくださいね、という態度です。ただ、研究書などで言質を取られることを警戒するあまり、『ちゃんと言ったからな』とカッコを多用してあれこれ挿入し、かえって話が見えにくくなるということはよくあります。もともと本筋を際立たせるための、身を隠すジェスチャ―であるカッコが、それ自体増殖して視界を遮ってしまうのです。これはなかなか面白い現象ではないでしょうか。本文の声のレベルを一つ落として、『ここはまあ聞かなくていいですからね』と身を潜めるようにして小声で言う、それがカッコの本来の機能なのですが、カッコという記号は文中では『異物』に他なりません。だから、目立たないようにするはずのものがかえって目立ってしまう。むしろ隠したり言わなかったりすることでこそ、何かを表現することがある。」

本書は全体をとおして、文学という「文章そのものを楽しませる」という目的をもたせた作品に対して、そのどの部分が「よみどころ」かについて著者が解説するという、言ってみればものすごく「野暮」なことをしているという捉え方もひょっとするとあるのかもしれません。

しかし、この文章を読んでいただくと分かると思いますが、著者の解説は、そのような本来的に「野暮」なことを決してそのように思わせない力を持っているような気がします。

私のような小説嫌いの人間には非常に貴重なものです。

 

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