日本人と英語

グローバル力を身に着ける日本人の心得

2020年4月12日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英対話力」からテーマをいただいて書いていますが、第三回目の今回が最終回でテーマは「グローバル力を身に着ける際の日本人の心得」についてです。

前回はそのテーマとして「グローバル対応能力とは何か」をあげ、その定義についてみてきました。

ところが、日本人がそれをそのまま実行すると、「あいつ帰国子女だから、、、」みたいなことが結構聞かれるように、世界では通用しても日本では通用しない、ちょっと浮いた存在になってしまうことがあります。

しかし、これでは本当の意味での「グローバル対応力」を備えたことにはなりません。

なぜなら、「グローバル」とは文字通りグローバルであって日本を除外せざるを得ないのであればグローバルの意味が論理的に破綻してしまうからです。

本書の素晴らしいところは、「グローバル対応力」の定義に関連して、日本人にそれを適用しやすいように補助的な説明をしてくれているところです。

以下にその補助的な説明部分を引用します。

「誰にでもあることですが、『ドライ』なアメリカ文化に適応すると、相手かまわず分析してしまうといった結果になります。アメリカでは敵も味方も分析の対象になります。これは英語という分析的な言語に無意識に取り込まれてしまう結果です。問題は分析そのものではなく、『ドライ』な感情にハマってしまって、もとの自分がどこかに行ってしまうことです。こんな風に異文化を無意識に吸収してしまうと、元の自分を見失ってしまいます。異文化の吸収には、意識的であることが必要条件です。その意味では、第二言語に文法から入るのは正しい選択です。同時に選択する自分を選択しましょう。自分は自分でありながら、英語では分析的、日本語では情緒的、とスイッチを意識的に切り替えることも可能なはずです。ただし、どちらの言語でも事実的な内容は同じでなければなりません。単にレトリック(表現方法)を変えるだけなのです。これができるようになれば、どんな言語に対しても、どんな異文化に対しても自分を保つことができます。」

そうです、本質的な意味での「グローバル対応力」とはつまり、「解は一つではない」ということを生き方の基本において木も森も両方見られる(多様性を認められる)姿勢を持つことがグローバル対応力」を備えることのようです。

その意味で言えば、英語という世界のスタンダード言語を外国語として学習して身に着ける私たち日本人は、的確なトレーニングを積むことによって、欧米人以上に本質的な「グローバル対応力」を身に着けることができる可能性があると考えられるような気がしてきました。

 

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