日本人と英語

コミュニケーションの定義

2018年10月24日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「これからの英語教育の話をしよう」から、10テーマをいただいて議論をしていくシリーズの第七回、今回のテーマは「コミュニケーションの定義」です。

文科省の有識者会議の報告「子供たちのコミュニケーション能力を育むために」に次のような定義があります。

「いろいろな価値観や背景をもつ人々による集団において、相互関係を深め、共感しながら、人間関係やチームワークを形成し、正解のない課題や経験したことのない問題について、対話をして情報を共有し、自ら深く考え、相互に考えを伝え、深め合いつつ、合意形成・課題解決する能力」

この定義からすると、最もこの考えに基づいて教育がなされなければならないのは、生徒ではなくむしろ教える側の教師、特にALTではないかと著者は次のように厳しく指摘しています。

「とりわけ英語圏出身のALTの中には、『善意』から『正しい英語』『本場の英語』を教えている方がいます。その際、『訛った英語は、ネイティブには通じない』のような『アドバイス』をすることがあります。コミュニケーションがうまくいかない場合、どちらか一方にその責任を押し付けるのは望ましくないはずですが、『正しい英語』を教える『使命感』が、コミュニケーションの本質を捉え損ねてしまうようです。だからこそ、ALTの言語意識改革は、『国際共通語としての英語』を普及していく上で重要となると思います。」

よくぞ言ってくれた!と両手をたたいで喜びたい気持ちになりました。

というのも、私はランゲッジ・ヴィレッジの代表であると同時に、一般社団法人日本実用外国語研究所(JIPFL)の理事長をつとめていますが、この団体が運営しているSEACTテストのサイトでご紹介している「SEACTテストのコンセプト」では次のように述べています。

「現存する試験は、受験者が「知識」を持っているかどうかを確認するものです。ですから、評価基準はある単語、文法知識、を知っているかいないかです。それでは、実際のコミュニケーションはその「知っているかいないか」で、成り立っているのでしょうか。そんなはずはありません。私たちは、ある特定の単語と文法をつかって文章を作れなくても、それ以外の単語と文法を使って、 別の文章を作り上げて、その内容を相手に理解させればそのコミュニケーションは「完璧」と判断しています。逆に特定の単語を知っていても、 それをスムーズな文章に乗せて適切な文脈を作り出せることができなければ、いわゆる「あの人の話は難しくて何を言いたいのかわからない」となるのではないでしょうか。  つまり、コミュニケーション能力の評価は、知識を「知っているか知らないか」ではなく、「文脈を作り出せるか出せないかどうか」です。SEACTテストはまさにこのことを確認するテストです。 」

このように、もはや日本人が学ぶべき「英語」の能力とは、特定の「英語人」が話す「正しい英語」「本場の英語」ではなく、誰に対しても、どんな状況でも、英語で合意形成・課題解決する能力であると私は本書の著作陣同様に確信しています。

そして、実際にランゲッジ・ヴィレッジにおける外国人講師に対して行うトレーニングは、「正しい英語」を教える「使命感」によってズレてしまったコミュニケーション観を本質論に合わせる彼らの言語意識改革が中心になります。

このことの重要性の理解はやはりまず、このコミュニケーションの定義を確認することからだと思います。

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