日本人と英語

チョムスキーは進化論を否定したか

2019年9月8日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「チョムスキーと言語脳科学」から、いくつかテーマをいただいて書いていますが、第二回目のテーマは「チョムスキーはダーウィンの進化論を否定した」かどうかについてです。

まずは、「チョムスキーはダーウィンの進化論を否定している」という批判の詳細について、本書より以下に引用したいと思います。

「化石人類の進化の過程で、例えば三まで数えられる類人猿から出発して、十、百、千、万、億、、、のそれぞれまでを数えられる段階を『連続的に』経ながら、やっと人間のように無限を理解する(言語についても無限に文章を作り出す)種が現れた(というのが、進化論の基本的な考え方であって、チョムスキーの生成文法が突然人間にだけ獲得されているとすることは進化論を否定していると言える。)」

つまり、反生成文法論者の多くは、チョムスキーが、人間だけが、脳の中に完璧な「文法装置」が突然装着されているわけであって、類人猿が少しずつ進化して人間というそのような装置を段階的に装着していったわけではないと主張をしており、だからこそ、チョムスキーはチンパンジーなどを言語脳科学の材料として使用することにはまったく意味がないと主張しているのだという解釈をしているようです。

私も、この何万種類という動物が存在する地球上に、唐突に人間だけが、このような特別な能力を保有しているということは考えられず、人間に近いと思われているチンパンジーたちにも、人間には及ばなくてもそれに近い能力を持っていることを実証するような研究には意味があるとするのが普通のようにも感じられました。

それにもかかわらず、チョムスキーがその研究の必要性を否定するのであれば、やはり彼が、近現代生物学の基礎中の基礎とされている「進化論」そのものを否定しているととらえられても仕方ないようにも思えました。

しかし、本書では、次のような内容でその誤解を解こうとされています。

「チョムスキーが否定したのは、言語に対する選択圧(突然変異の選択に関わる要因)であって、進化論そのものではない。選択圧が関与しない突然変異の例として、適応の上で有利でも不利でもない『中立的変化』があり、正常な遺伝子とよく似た配列を持ちながらも機能することのない『偽遺伝子』が多数存在することが知られている。言語能力は環境に適応するような突然変異が徐々に積み重なって現在の形になったのではなく、選択圧と関係しない突然変異によるものだとしてチョムスキーは次のように述べている。『あるわずかな変化、脳内のわずかな再配線があったことは間違いなく、その再配線によって言語のシステムがどうにかして作り出されたということを意味しています。そこに選択圧は存在しません。ですから、言語の設計は完璧であったのでしょう。それはただ自然法則に従って起こったことなのです。』」

さすがに、多くの学者ですら誤解するような問題ですから、非常に難しく、何度も何度も読み返してもなんとなくしか、ここでの内容を理解することができませんでした。

その上で、何とか素人頭で整理をしようとすればこれはこういうことでしょうか。

「言語を司る能力」などというものは、そもそもその時点での類人猿にとって、環境適応として、「有利」でも「不利」でもない、不必要なものであった。

つまり、環境とは無関係に、将来人間となる種の脳の中で「再配線」という突然変異が起こり、その再配線によってたまたま偶然に「完璧な生成文法」の能力が作り出されてしまった。

それが、人間という種の特徴となったため、他の類人猿たちとは、つながりがないように見えてしまう。

だから、チョムスキーは、進化論そのものを否定しているのではなく、すべてが進化論に言うところの「選択圧」(=環境に適応する遺伝子だけが生き残る)に支配されるわけではなく、その時の環境には有利でも不利でもない特殊な能力が突然変異によってたまたま偶然に獲得されることだってある、その一例が「生成文法」すなわち言語であると主張しているということなのではないでしょうか。

ちょっと極端な話をしますが、そう考えると、人間の発展はこの「言語」の獲得によってなされたことは間違いないですが、それによる地球環境の破壊が人間の滅亡につながるというような警鐘を聞くと、あながちこの突然変異は「有利」か「不利」か、一概には言えないような気がしてきます。

 

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