日本人と英語

英語(ゲルマン語)とバベルの塔

2020年5月27日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「秘術としての文法」からテーマをいただいて議論をしていますが、第二回目のテーマは、「英語の特殊性」についてです。

前回の記事にて、

「等価なものだと主張はしても、基本的にはラテン語の文法規則を当てはめるというのが基本となるわけで、ラテン系言語であるイタリア語やフランス語などと比べて、ゲルマン系言語である英語については、その当てはめ作業に非常に苦労があったようです。」

という話をご紹介して、英語の文法を確立していく過程の中で、英語が文法的にラテン語と関係していることを証明することで、英語の「誇り」を保とうとした流れがあったことを紹介しました。

一方で、英語はラテン語とは無関係であるということを主張することで、英語の「誇り」を保とうとした流れもあったようで、その話が非常に興味深かったのでその部分を引用します。

「バベルの塔の建設にはゲルマン人は参加しなかったという奇想天外な仮説をもってきわめて熱っぽい心情、情念をもって言語論や民族論を振り回したゲルマン愛好者も登場した。」

ここではまず、バベルの塔についての説明を紹介します。

バベルの塔の話は、旧約聖書「創世記 11章 1節~9節」に登場します。

「もともと、地球上のすべての人々は、同じ言語を話す、ひとつの民族だった。東方に移動しながら生活していた人々は、シュメールに平野を見つけ、そこに住み着いた。彼らは石と漆喰(神が造ったもの)の代わりに、煉瓦とアスファルト(人間が造ったもの)を使った技術を生み出した。人々は自らの誇示と、団結力を高めるために、その技術を使って、『都市』と『天国への階段(すなわち塔)』を築きはじめる。エホバ神がその都市と塔を偵察しに来る。彼らの団結力が、神の存在を脅かすと危惧する。こういう事態になったのは、人間が『単一民族』で『単一の言葉』を話しているからだと結論づける。神は地上を混乱させるために、人間が使う言葉を通じないようにした。人々はお互いが理解できなくなった。都市と塔の建設はできなくなり、ひとつの集団だった人々は散り散りになる。それぞれが世界の各地へ渡った。街をつくり、やがて個々の言葉を話すようになる。世界は分裂していった。混乱により崩壊した『都市』はバビロンと名付けられた。」

つまり、当時の国際共通語であるラテン語とそれの話者を「バベルの塔」建設時の神の怒りを買った「単一の言葉」と「単一民族」の象徴として断罪し、そのラテン語の文法の枠に当てはまらない部分の多いゲルマン系言語である英語が、むしろ神の怒りを買ったラテン語からは独立した言語だということを強調したものです。

いつの時代もどうして人間はこうやって、出自や歴史をもって自己を「正当化」し、自らとは異なるものをある時は「崇拝」またある時は「排斥」しようとするのでしょう。

しかし、私たち人間は、この「バベルの塔の建設にはゲルマン人は参加しなかった」説について聞けば、多くの人が、ばかばかしいと判断できるのに、少し状況が変わると、同じようなことを繰り返しています。

もはやこれは、人間の本能の奥の方に組み込まれた「性」とも言うべきものかもしれませんが、人間の発展はその醜い「性」からできるだけ離れることにつながるものであってほしいと思います。

そして、私は「英語文法」の確立についても、その人間の発展の一部分だと確信しています。

 

 

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