日本人と英語

フランス語が英語に負けた日

2020年8月26日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「共通語の世界史」からテーマをいただいて書いていますが、第三回目のテーマは、「英語の力がフランス語に勝るきっかけ」となった出来事です。

英語が世界の共通語となる大きな原動力は、「太陽の沈まぬ大帝国」と言われたほどのイギリスの帝国主義的世界侵略にあったことも一つの真実ですが、もう一つ、その一植民地であった北米大陸においてそのイギリスから独立した「アメリカ合衆国」の大躍進にあったことももう一つの真実です。

ただし、北米大陸に植民地を作ったのはもちろん、イギリスだけではなく現在のカナダのケベック州がフランス語圏であることからも分かる通り、フランスも同様に植民地を展開していました。

その二つの国が、領土(と植民地)拡大争いをしたのが「七年戦争」と呼ばれるヨーロッパと北米大陸における戦争です。

(1754年に始まったこの戦争は、オーストリアとプロイセンのヨーロッパにおける領土争いがきっかけですが、スペイン・ポルトガルなどを含むヨーロッパ各国を巻き込んだ世界史上初めての世界大戦だと言われる一方で、そこから派生した北米大陸に飛び火して、イギリスとフランスの植民地争いにも発展し、北米の戦争はフレンチインディアン戦争と呼ばれます。)

(青がもともとのフランス植民地、ピンクがイギリス植民地)

この戦争はイギリス側の勝利となり、1763年2月10日に締結されたパリ条約によって、フランスは北米での多くの植民地を失う一方で、イギリスは北米大陸東半分の植民地勢力の支配を固める結果となりました。

その後もフランスは1805年にナポレオンがルイジアナをイギリスから独立したアメリカ合衆国に売却したことで、北米大陸での共通語が「英語」になることが確定することになったのです。

すなわち、世界の共通語としての地位争いに「フランス語が英語に負けた日」が1763年2月10日であると言っても過言ではないと本書では指摘されています。

また、次のような指摘によって、その後のイギリスの商業的・政治的勢力の拡大の勢いが言語的な視点からも明らかに見て取れるとしています。

「英語とフランス語の相互の借用語の割合を見てみると、1650年から1780年までの間にフランス語から英語への借用語は75%減少したが、それに対して英語からフランス語への借用語は200%増大した。」

その後、アメリカ合衆国が独立戦争に勝利してイギリスからの独立した後は、その商業的・政治的覇権はイギリスからアメリカ合衆国に移り、二度の世界大戦を経てその覇権が確実なものとなることによって、世界共通語としてのフランス語の後退、英語の隆盛は確実なものとなりました。

上記の北米大陸の勢力地図における青の面積を思うと、七年戦争という一つの戦争の結果が世界共通語の運命にどれほど大きな影響力を及ぼしたか計り知れないものがあります。

 

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆