日本人と英語

公平性と実効性のはざまで

2015年7月22日 CATEGORY - 日本人と英語

SEACT

 

 

 

 

 

 

日本人と英語ブログ」において二回にわたって寺澤芳男氏の著書「英語オンチが国を亡ぼす」からインスピレーションを受けて記事を書いてきましたが、この「英語力テストについてブログ」にとっても非常に興味深い点を指摘されていましたのでここでも引用させていただきます。

「これまで試験の方法として、○×方式、マークシート方式のペーパーテストが行われてきたのは、それなりの理由もある。点数主義というのは、ある意味で極めて公平だからだ。例えば、会話能力や書く力、救急車の人にどういう説明をするというテストをしたら採点は時間的にも技術的にも非常に難しくなる。日本語でもうまく言えない人もいるかもしれないし、採点者が一番的確な答えを知っているかどうかも分からない。採点に恣意的な判断が加わらざるを得ないような試験制度は、もし公平に生徒を評価することを最優先しようと思えば不都合気まわりない。多少欠陥はあっても、点数主義のほうがいい。その点は僕も納得せざるを得ない。」

そして、次のように続けます。

「ただ、こう考えたらどうだろうか。これから来るであろう少子社会を考えたときに、大量生産的に、一斉に試験をやらなくてはならない状況がいつまで続くのだろうか。公平さばかりを追及して、個性ある人間を評価しないシステムを懸命に存続させていくことに一体意味があるのだろうか。」

特に重要だと思ったのは、「会話能力や書く力、救急車の人にどういう説明をするというテストをしたら採点は時間的にも技術的にも非常に難しくなる」という指摘ですが、これは、TOEICがなぜこの日本でここまで幅広く受け入れられているのかの理由を非常に的確に述べられたものだと言えると思います。

しかしです。

この問題は、入学試験など全国的に大量に試験をしても公平性を保たれる必要がある試験において生じるものであって、ビジネスの世界において企業が自らの社員に英語において「会話や、文書作成、および救急車の人に説明をする」ために必要となるまさに「使う」英語力を持っているかどうかを調べるときには、そこまで大量にさばく必要性を考える必要もありませんし、そこまでの公平性を求める必要もないのではないかと思うのです。

しかも、それらを求めることによって失うことになる本当の意味での「使う」英語力の評価の実効性ははかりしれません。

このように考えると、著者が言うような「大量生産的に、一斉に試験をやらなくてはならない状況がいつまで続くのだろうか。公平さばかりを追及して、個性ある人間を評価しないシステムを懸命に存続させていくことに一体意味があるのだろうか。」という疑念は学校教育よりもビジネス界において圧倒的に大きいものとなるはずです。

この問題を解決するために私は一般社団法人日本実用外国語研究所を立ち上げ、まさに救急車の人にどういう説明をするのかというような「物事をやりきる力」を直接的に評価するSEACTテストを運営することにしたのです。

私たちは、そもそもTOEICのような「大量生産的に、一斉に試験をやる」という前提に立っていません。一部の本当に英語を使って「物事をやりきる」必要のある方のみに対して、その能力をがちんこで評価する仕組みを作ることにしました。

ただし、その上で、このような試験の弱点である公正性の問題をいかに合理的な範囲に収めるかという課題に真剣に取り組んでいます。