日本人と英語

和臭がする辞書と外臭がする辞書

2019年11月24日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「日本語が英語と出会うとき」よりテーマをいただいて、書いてきましたが、第四回目の今回が最終回です。

テーマは「辞書の編纂方針」についてです。

今まで、日本における辞書の発展の流れを「英和辞書」中心に見てきました。

その国の英語辞書の発展の流れとしては、まず外国人によって作られた英文を理解するための「英和」、次に自分たちが英文をつくるための「和英」という具合にすすんでいくのが普通です。

日本においても、そのような流れの中で、日本初の「和英辞書」として「和英語林集成」がヘボンによって編纂されたことはすでにご紹介しました。

その後、様々な編者によって「和英辞書」が編纂されてきたのですが、その中から二人の編者によるものをご紹介し、その編纂方針に注目してみたいと思います。

それは以下の二冊です。

① 井上十吉 編 「井上和英大辞典」

これは、ヘボンが日本で初めて「和英辞書」を作ってから、彼の影響を受けずに日本人が作った最初の「和英辞書」です。

1862年生まれの井上十吉は、ロンドンで冶金学を学び、東京大学で理学部の助手を務めた後、英語教師に転身し、その後外務省に入省し外交官となった人物です。大正7年に退官した後は、辞書の編纂や英語教科書の執筆を手掛ける中で、この「井上和英大辞典」を刊行しています。

なお、この「井上和英大辞典」の編纂方針について本書の中で以下のように書かれています。

「序文の中には、『I should add that this work is entirely Japanese. In its complication I have not consulted any foreigner』と述べている箇所があり、当該辞書が外国人の手を借りずに日本人のみによって編まれたことがむしろ『宣言』されているように見える。次に取り上げる竹原常太『スタンダード和英大辞典』によって『I氏大辞典』は批判されているが、この『I氏大辞典』は『井上和英大辞典』であると思われ、そうした批判を受ける原因はこの編集方針にあったのではないだろうか。」

② 竹原常太 編 スタンダード和英辞書

1879年生まれの竹原常太は、米国イリノイ州の師範学校を卒業後、主に中学の英語教師として教鞭をとった後、再び米国留学し、ニューヨーク大学で英文学の博士号を取得し帰国します。その後、神戸商大の教授となり、在任中にこの「スタンダード和英大辞典」を刊行しています。

なお、すでに彼が①「井上和英大辞典」の編纂方針を批判していることについては述べていますが、改めてこの「スタンダード和英大辞典」の編纂方針について本書の中から引用します。

「本辞典は従来の和英辞典とその編纂法において趣を異にするところあり、編者が過去14年間にわたり英米において刊行せられたる各種の書籍併に定期刊行物を渉猟して蒐集したる文例約30万を基礎材料として帰納研究をなしたるの結果にして詳細は巻末に付したる『スタンダード和英大辞典編纂について』を参照せられたし。」

続いて、この『スタンダード和英大辞典編纂について』から、注目すべき内容をさらに引用します。

「日本がその学校教育において英語教授に力を注げることの大なるは世界に多く其此を見ざる處である。此点において日本は英米に次いで英語研究が最も発達しているべきはずである。然るに事実はこれに反して日本人の英語は世界の物笑いであっていわゆる『ジャパニーズイングリッシュ』と日本人とは相離るべからざるもののごとく考えているのは、まことに遺憾千万の次第である。」

つまり、竹原氏に言わせれば、井上氏は、辞書という日本人の英語との重要な接点となるべき場所においても「和臭」をまき散らして、日本人の英語を『ジャパニーズイングリッシュ』に貶めてしまう元凶になっているではないかというわけです。

いやはや、非常に厳しくも的を射ているのでこの指摘に対して真正面から反論するのは難しいと思われます。

しかし、殊、「学習の過程」という視点にたてば、この二つの辞書編纂方針を比べて、竹原氏が絶対に井上氏に勝るとするべきではないと私は考えます。

というのも、日本人が初学者の段階で英文を作るときには、まずは自分自身の持てる文法知識をフル活用して「和臭たっぷり」でも「文法的な」英文を作れる力の育成を優先すべきだと思うからです。

まだその実力もないのに、「和臭」を排した「外臭」たっぷりの本場の英語のみに触れさせるのは、場合によっては多くの初学者を英語から遠ざけてしまう恐れすらあると私は思います。

まず、その力をつけた後、自分の力で作った「和臭たっぷり」の英文を本場の英文と比べることで、非常に深い学びにつながると思うからです。

つまり、これは学習の段階ごとに望ましい「和英辞書」が異なってくるということであって、絶対的に優れた辞書の議論としては無意味であると考えるものです。

私は、学習の初段階では、井上氏のような「外国人の手を借りずに日本人のみによって英文を完成させた『宣言』」をどんどんしながら、英文作成に親しみ、その後で自分自身の「和臭」に気づくことで、より本物に近づくという学習順序をお勧めしたいと思っています。