日本人と英語

営業部はバカなのか

2020年6月28日 CATEGORY - 日本人と英語

皆さん、こんにちは。

以前にご紹介した「『場当たり的』が会社を潰す」が、「戦略的」な行動とは何かを考えるのに、非常に参考となったため、本書の著者である北澤孝太郎氏のデビュー作「営業部はバカなのか」も読んでみました。

まず初めにこの「営業部はバカなのか」タイトルの説明が必要かもしれません。(笑)

これは、営業部の仕事である「営業」が、どぶ板営業、接待営業などと形容されるような、とにかくモノを売るという「セールス」行為に限定した活動であるという世の中の大方の認識に対する疑問の投げかけとなっています。

この疑問への答えについて考えるにあたって、著者は、「営業」行為の定義をすることでその本来の方向性を示しています。

以下に、その定義の部分を引用します。

「世の中に価値を作り出し、それを提供することでそれに見合った利益を得て、従業員を養い世の中に継続して存在すること」

つまり、営業とは「顧客価値の創造」「セールス活動」「代金回収」「雇用維持」といった一連の企業活動そのものだということです。

「営業部はバカなのか」という疑問は、日本語の語彙としての「営業」の一般的理解が、上記の定義のうちのほんの一部分である「それを提供すること(セールス活動)」のみに限定されてしまっていることからくる誤解だということになります。

しかし、それが誤解だとしても、「営業部」というくくりで言えば、「セールス」に限定された活動しか行っていないことから、その疑問が他部署の人間から上がってくるというのも真実でしょう。

本来の意味からすれば、「営業部」のメンバーであるならば、この企業活動そのものを一人でこなせるスーパーマンである必要があるということになりますが、現実にはなかなか難しい。

そこで、本書において著者は、「営業」の本来の定義である企業活動そのものであるという本意を前提に、企業に携わるすべての人間が「営業」的視点をもちながらも「分業」して仕事に当たることの重要性を説いています。

それは、「当事者意識」と言い換えられます。

すべての社員が、企業活動の全体像を理解した上で、今自分がその中のどの部分を担っているのかを認識しながら、仕事に当たること。

つまり、会社全体として一人のスーパーマンたろうとする姿勢が重要だということを「営業部はバカなのか」という言葉で象徴していると理解しました。

 

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