日本人と英語

地球市民とは

2020年1月15日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「わたしたちの英語」から、いくつかテーマをいただいて書いていますが、第五回のテーマはずばり本書のメインテーマである「地球市民」です。

メインテーマであると指摘した通り、本書は様々な角度からこの「地球市民」というコンセプトを紹介しようとすることが目的なので、この地球市民の定義をここで一言で表現することに大きな意味はないと思います。

当然、本書でもそのようなことに挑戦はされていません。

ですが、現在多くの日本人が「地球市民」とは認められないようなコミュニケーションの仕方をしてしまっている典型例を、身近なところから拾い上げて指摘してくれています。

それらから目を背けることなく、正面から受け止め、反省し、少しでも「地球市民」に近づく努力をしたいものです。

以下に、その典型例を反面教師とすべく、本書の指摘部分を引用します。

「日本人が巻き込まれる事件や事故の報道を思い起こしてください。外国で大きな災害や事故があると、日本のニュースでは『日本人に負傷者はいませんでした』『乗客に日本人はいなかった模様』と伝えられます。日本人にとって最も大きな世間である日本の存在を感じます。ここでいう『日本人』とは何かというのは実は大きなテーマです。日本のパスポートを持つ人か、日本で生まれた人か、日本で教育を受けた人か、生まれた国は違うが両親、あるいは片方が日本人か、などです。『日本人は無事だった』というのは、とにかく自分の仲間の安否だけを伝えているようにも思います。日本のメディアが日本人のために報道活動をするのは自然のように見えますが、日本が世界地図の中である部分を占めていて、日本列島とそれ以外に分けているようにも考えられます。つまり、日本が全体として『ムラ』になっているように見えます。ニュースを見ている人や新聞の読者は、暗に同胞の、同郷の人間の動静を知りたがるものです。だから、日本のメディアがこれに応えようとするのは筋が通っています。そのように考えると、メディアはムラの要請に応えながら、ムラを形成しているのかもしれません。ニワトリと卵の関係のようでもあります。日本が孤立した国であり続けるのであれば、それでよいかもしれませんが、今では日本列島にいるのは何も日本人とは限らないという事情に着目しなければならない時期にあるように思います。地球市民として、どう生きるのかに関係するのではないでしょうか。」

ザ・イエローモンキーの「JAM」の歌詞にあるように、「乗客に日本人はいませんでした」という言葉に、私自身、否が応でも反応してしまう日本人ムラの一員である自分をどうしても見つけてしまいます。

それは、日本がグローバル社会を否定し続けるのであれば、それでいいでしょう。

しかし、それを否定できない時代を私のみならず多くの日本人が認識しているはずです。

であるならば、私たちは、どうしても「乗客に日本人はいませんでした」に反応してしまう卵から生まれたニワトリであったとしても、自らの努力で「地球市民」の卵を産んでいかなければならないのだと思います。

 

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