日本人と英語

大人が子どもを羨ましがる理由

2020年2月9日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「赤ちゃんは言葉をどう学ぶのか」からテーマをいただいて議論をしてきましたが、第六回目の今回が最終回です。

「子どもが語学の天才で何の苦労もなく外国語を獲得してしまう」と思って、外国語の幼児教育がもてはやされがちですが、前回までの記事で、それよりも前の段階の「赤ちゃんが語学の天才で何の苦労もなく母国語を獲得してしまう」という認識を「思い込み」にすぎないとして否定してきました。

ですから、「赤ちゃん」を「子ども」に、「母国語」を「外国語」に変えても当然にそれは否定されることに反論の余地はなく、これも同様に「思い込み」であると言ってよいはずです。

最終回のテーマは、ではなぜ大人がそう思い込んでしまうのかについてです。

本書では、いくつかの理由を挙げられていましたが、私が最も納得のいく理由が書かれている部分を以下に引用します。

「小さな子どもが新しい言語環境に入った時に、『あっという間にその言語を身に付けてしまう』という噂は研究の結果、正しくないということが分かっています。具体的には、子どもたちが現地の同年齢の子供たちと同レベルの言語能力を備えるようになるまでには『あっという間』とは形容しがたい長い期間が必要とされ、なおかつその期間には大きな個人差があることも分かりました。言語能力を高める前提となる、新しい環境や人になじむのがどれだけ得意か、言語を学ぼうとする動機付けがどれだけ強いか、聞いた言語を覚えたり分析したりする認知能力がどれだけ高いか、といったことも子供によって大きく異なります。実際、これらの条件がそろっていて、それこそ『あっという間』に話せるようになる子どももいたのかもしれません。そして、そういう皆を感心させ、期待を裏切らない話は好んで語り伝えられることでしょう。似たような話で、例えばスポーツや音楽などで親が早い時期から熱心に教育してきた子供が天才的な力を発揮するというケースがありますが、ただしそれを見て、『早い時期から取り組めば、誰でもすごい力を発揮できるようになるのだ』と考える人は、外国語学習の場合ほど多くない気がします。」

つまり、これは「少ない成功例の独り歩き」によって、一般論化してしまったということでしょう。

上記の内容のスポーツや音楽のたとえ話の部分は非常に説得力があり、冷静に考えれば当たり前のことだということが良く分かります。

しかしながら、「スポーツや音楽」が「言語」に代わると私たちは冷静さを失ってしまいます。

これは、前回の「母国語と外国語の根本的な違い」の内容を理解することで、冷静さを取り戻せるはずです。

私たちにとって「母国語」は特別なものであると同時に、誰もがその努力した事実を忘れてしまいますが、「外国語」は子供にとって「スポーツ」や「音楽」と同様のスキルにすぎないということです。

このように考えれば、もはや私たち大人が子どもを羨ましがる理由が消えるはずです。

 

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