日本人と英語

日本人と韓国人と英語と覚悟

2014年1月5日 CATEGORY - 日本人と英語

皆さん、こんにちは。

年初のごあいさつでご案内した通り、今回を含め数回にわたり、「小学校英語の教科化および中学校英語授業の原則英語使用」を骨子とする「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」の方針が「絶対にダメな理由」をテーマに書いていきたいと思います。

今回は実際に、韓国の英語村で小学校英語教師向けの研修に参加して、彼らと一緒に学び、併せて彼らに対してその進捗具合や実態を聞き出すことで見えてきたことを書きます。

まず、韓国は1997年いまから15年以上も前に、今回日本の文科省が打ち出した「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」の方針と同じような改革に実際に着手しました。日本の計画が全面的に実行されるのは2020年の予定ですから、20年以上の差があることになります。

現在では、地方によって多少の違いはあるかもしれませんが、小学校三年生から英語を「教科」として、

小学校3~4年生で週2時間
小学校5~6年生で週3時間
中学校では3年間を通じて週5時間

というコマ数で、担任ではなく英語の専門教師によって授業が行われているようです。そして、その専門教師には、今回の研修のようなものがもちろん「無料」で定期的に課され、常に指導方法のアップデートをするようです。

そして、この研修の目的は、主としてTEE(Teaching English In English)=英語で英語を教える方法論の習得です。

基本的には韓国では英語の授業についてはこのTEEが基本の考え方になっているようです。ただし、実際に現場でそれがどのくらい実行されているのかということを聞いてみたところ、その達成率は平均すると10~20%くらいではないかと感じました。

教師ごとの英語運用能力に違いが大きく、TEEが基本ということになっていても、能力的にできる教師は実際には限定されてしまうのは当然です。

現時点での日本の高校英語がまさにその通りで、建前としてTEEが基本ということになっていても、それが実行されるかは別問題です。

まず、結論を先に申し上げようと思います。

現在(もしかしたら、かつてのといったほうが良いかもしれませんが)、日本で行われている分析能力が備わった中学以降の日本語による英文法中心の学校英語教育は間違いではありません。

というか、日本人の国民性、および英語を外国語として教えるという性質等を勘案すれば、間違いどころかこの方法が英語の学習を開始する時点での「唯一絶対」の方法なのです。

結果的に「英語を話せる」人間を作り出せないという意味では、大きな問題を抱えていますが、これはその方式が「悪」なのではなく、それ「しか」やらないから駄目なだけなのです。

比喩的に説明します。

大工さんは、道具を持っただけでは家を建てることはできません。しかし、大工の成長の過程での「道具を持たせる」ことからはじめる方法が誤りであるはずはありません。

まず、道具がなければ話にならないわけですから、地道に道具を手に入れます。

ある程度道具を持ったら、道具集めはそこそこに切り上げ、その道具を実際に使う練習をすることで「家を建てる」ことができるようになります。

つまり、道具を持たせるだけで、使う練習を全くやらせないことが「悪」なだけなのに、英語教育では、道具を持たせても駄目だから、「道具を持たせる」ことをやめて、道具を持つ前から、素手で家を建てはじめ、家を建てる作業の中で道具を見つけながらやらなければ駄目だということになってしまったのです。

この方式だと、家が建つまでにどのくらいの時間がかかるでしょう?というか、そもそも建つのでしょうか?

ですから正解は、中学校では今まで以上に効率よく日本語で文法中心授業を行い、それだけで終わらせることなく、あわせて「英作文」のような能動的な学習をこなすことで、その文法が英語の運用に実際に役に立つという実感を与えることです。

このようにして英語の基本である文法を確実にそして効率的に習得し、なおかつ運用へのつながりを学ぶことで「実戦」前の準備をします。

あとは実際に「使う環境」を与えることです。ただし、この方法には工夫が必要なのです。

文法を机上のルールとして教えるのではなく、実際に英語を話すことと結び付けて教えることは、非常に能力のいることです。このことについて、一定以上のクオリティが保たれる必要があります。

大変難しいことだとは思いますが、文科省の計画よりは明らかに現実性が高いと思います。実はこれこそが、ランゲッジヴィレッジの考える理屈そのものなのです。

今回の研修で痛い程感じたことがあります。

韓国が15年前に始めたことは、「道具を持たせることをやめて、道具を持つ前から、素手で家を建てはじめ、その体験の中で道具を拾わせる」という方式で成果を上げるという「覚悟」を国家として決めたということです。

今回の研修で最もよくわかったこと、それは、韓国のようにTEEを真剣にやることは、とてつもなくまどろっこしくて気の遠くなりそうな作業を積み上げて目標に進んでいかざるをえないということです。

例えば、「序数」。

1,2,3という数字ではなく、1月12日の12日は12ではなく12thという理屈を韓国語を使わずに教えるためには、たったこれだけのために非常に綿密な「レッスン計画」が必要となります。

これをありとあらゆる言語要素において行う必要があるということです。

ですから、こうなると英語の教師に必要とされる専門知識と準備時間は計り知れないものとなり、実際の授業時間も目標を達成を確実なものとするためには現在韓国が設定している時間数でもとても足りないのです。

「赤ちゃんが言葉を学ぶように学ぶ」ということを言う人がいますが、それを本当に行うことがどういうことかということです。

人間が、ある程度言葉としての力がつくのははやくて3歳だとして、赤ちゃんは母親というマンツーマン講師とのレッスン時間として一日10時間×365日×3年=10950時間が必要ということです。

これが、前回の記事で申し上げた、「今の日本の教育環境で日本人が英語を外国語として学ぶ」という前提では絶対に今回の改革が駄目だということの意味です。

ですから、韓国の先生もTEEが基本ということになっていても、その実行度合いは10%未満と言うことは必然的に起こっていることなのです。

でも、韓国は非常に頑張っているように見えました。その「覚悟」を決めているように見えました。

まず、当然ばらつきはありますが、おしなべて教師の英語能力は小学校の先生としては非常に高いと思います。

そして、国民性の違いとして日本人よりもこの方式に親和性があるような気がします。というのも、兎に角、積極的発言が多く、授業の双方向性が非常に高いです。

ですから、韓国は様々な犠牲を払いつつも、もはやこの方向性で行ききってしまうのだろうと思います。

(ただし、日本人だったら恥ずかしいくらいオチのない発言だったり、時には授業妨害のようなこともしばしばです。しかし、こと、外国語の授業ではそれは非常に理想的なことだと思います。)

日本ではTEEに変えたからと言って、いきなり発言が増えるなどということは考えられませんから、非常に一方的なTEEとなることは目に見えています。

日本がこの方向で20年遅れて、なおかつ、思慮遠慮的国民性をもってして進んで行くことは非常に問題だと言わざるを得ません。

20年遅れの日本が、今から韓国に同じ方法で追いつくことはあり得ないわけです。また、仮に追いついたところでそこから得られるものは大したものではありません。

であるならば、日本は日本の今までの積み上げてきた実績を無駄にせず、中学生以上の「分析的能力」という武器を最大限に活かした上で、「使う環境」を少しでいいから上乗せする方法を確立するべきだという私の考えが、今回の視察でより強くなりました。

 

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