日本人と英語

日本人の英語とデータ(その1)

2016年1月17日 CATEGORY - 日本人と英語

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書籍紹介ブログで「『日本人と英語』の社会学」をご紹介しましたが、この本は私たちの家庭生活、ビジネス、社会的活動、あらゆることが、「思いつき」で対処されているということが多いことに気づかせてくれます。

例えば、そもそも論になりますが、「日本人は本当に英語ができないのか」という命題です。

昨今の日本におけるあらゆる英語に関する国の政策、民間の英語教育ビジネスが、この「日本人は本当に英語ができない」という「前提」の下に実施されています。 しかし、本書の趣旨は、このような「前提」自体が正しいものなのかということに社会統計データを使うことによって明らかにしようというものです。ちなみに、この命題に関する分析結果は以下のようなものとなっています。

(1)日本人の英語量が国際的に見て低いレベルにあることは事実だが、これは日本人だけが突出しているわけではなく、東アジアや南欧の国々と同水準である。

(2)日本の特徴は、英語が非常にできる人と、全くできない人の両極端が相対的に少ない点である。

(3)他国に比べて世代間格差が少ない。

(4)同様に、社会階層差も少ない。(高学歴層では、国際的に最下位レベルだが、ブルーカラー層では、平均レベルである。)

このように見ると、「日本人は本当に英語ができない」という言説は、母国語が英語に近い言語の国民との比較では、「できない」と言えるが、日本語と同様、英語との言語的な距離が遠い言語の国民との比較では、「できない」わけではないということが分かります。しかも、一般的な国民レベルでは、むしろ平均的に「ある程度分かる」国民だと言えます。

これについては、私も実感するところがあります。 私たちは、日本語の中にカタカナという直接外国語を音として取り入れる仕組みを持っています。

これが、「和製英語」として、むしろ邪魔をすることもあるのですが、基本的には全く国際ビジネスに関わりのない田舎のおじいちゃん、おばあちゃんも、「コンピューター」「スクール」「ウォーター」と言ったような言葉を普通に理解しています。

一方で、中国語では、カタカナのような音をそのまま表現する仕組みはなく、すべて漢字で表現します。上記の例では、「電脳」「学校」「水」です。

ですから、英語を体系的に学習したことがない人は、「コンピューター」「スクール」「ウォーター」と言ったような簡単なものも全く分からないという具合です。 確かに、こう考えると「英語ができない」と思っている私たち日本人は、意外に単語レベルで「できる」かもしれないと思えてきます。

おそらく、それはペルシャ語と比較すると、日本人の多くが「できる」ことを実感するのではないでしょうか。テヘランの真ん中で放り出されたら、本当にヤバいですが、ニューヨークの真ん中で突然放り出されても何とかサバイバルすることができるような気がしませんか?

このように考えると、今まで漠然と「日本人は全体的に英語ができない」という「前提」の下に実施されてきた英語教育も、「万遍なく英語ができるようにするために小学校英語を導入する」というものから、「将来国際舞台に立つ可能性のある上位層のレベルをより向上させるための英語教育」をとるなど、戦略的な実施の仕方を考える余地が出てくるような気がします。

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