日本人と英語

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2014年9月21日 CATEGORY - 日本人と英語

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日本語学習者としての自らの経験をもとに英語ネイティブの立場から英語と日本語の発想の違いを本当に分かりやすく説明してくれる稀有な存在であるマークピーターセン氏の「日本人の英語」「続 日本人の英語」「心にとどく英語」の三冊については、書籍紹介ブログにて紹介しました。

その視点の鋭さと洞察の深さに感銘を受け、私はすっかりピーターセン氏のファンになってしまいました。今回の記事では、その三冊の中から是非、皆様と共有したい優れた項目をいくつかピックアップしてご紹介したいと思います。

 

■定冠詞と不定冠詞

英語の語彙を増やして、リスニングを鍛えて、多くの文章を読んで、英語に自信をつけたとしても、なかなか「完璧」と自己評価することが難しい代表的な項目として「冠詞」があります。本書では、この難しい「感覚」をいとも簡単に分かりやすく説明してくれています。

まず、衝撃を受けるのは、大前提としての厳しい「a も the も名詞につくアクセサリーではない。」という一言です。

日本人はとかく、冠詞についてはその時の気分によってa をつけてみたり the をつけてみたり、はたまたどちらもつけなかったりです。著者の指摘の通り、私たちは、冠詞をまさに名詞のアクセサリーかのごとく扱っているということを認めるべきでしょう。

著者は、そのような冠詞の軽率な使用を伴った英語が、英語ネイティブには「このように感じる」という衝撃的な事実を伝えることによって、英語という言語における冠詞の重要性を知らしめてくれています。

定冠詞 the は話者(とその話の聞き手)の頭の中にその目的物のイメージがきっちりと存在している場合に用いられます。つまり、the のついた名詞はすべて、「例の」○○ということになります。

それに対して不定冠詞 a はイメージがなく、その目的物に何のこだわりもない状態、つまり「なんでもいいけどとりあえず(ひとつの)」〇〇ということになります。

例えば、「私は国際問題の話をするのが好きです。」といいたい場合、大方の場合は、「何でもいいけどとりあえず国際問題の話」ということだと思います。つまり、「例のパレスチナ問題について」とか「例の日韓の歴史問題について」というような「例の」具体的なイメージが話し手と聞き手の頭には共有されていないことが想像されます。ですから、英語ネイティブに対して、「I like to talk about the international issue.」といったら、彼らは、「the international issue. って唐突に言われても困るけど何の国際問題よ!?」と聞きたくなってしまうということです。

 

■可算名詞と不可算名詞

数えられるものと数えられないものという概念の区別すら日本語では意識しないので、冠詞とともにいつまでたってもしっくりこない項目の代表例が「可算・不可算名詞」です。そんな難しい問題ですが、著者は次のような理解のヒントを提示してくれています。

「数えられるという概念を純粋可算名詞であるtubeの定義で考えてみる。『丸く細長く、中が空洞なもの』tubeのアイデンティティーは形そのものであり、はじめと終わりのはっきりした中空円筒である。そのはっきりした初めと終わりがある限り、tube自体が自分の単位となり、どうしても数えられるはずである。」

このように考えると、非常に分かりにくかった純粋不可算名詞、例えばinformation knowledge evidence advice encouragement health などが、数えられそうで数えられないという理屈がわかったような気になりませんか?

 

■過去形と現在完了形

 「過去形」は過去の一点における行為についてのみを表す時制で、「現在完了形」は過去の一点における行為とそれが影響を及ぼしている現在の状況についての両方の情報を同時に表現する時制だということについては、学校文法で学ぶことです。しかし実際に、特に後者の「両方の情報を同時に表現する」ということがいかなることなのかを十分な納得をもって理解している人はどのくらいいるでしょうか。

「I studied English.」と「I have studied English.」

この二つの文章は両方とも「過去の一点において英語を勉強した」という事実を述べているが、前者については過去に勉強したことと現在の私とのつながりは一切暗示されない。それに対して、後者は、過去に勉強したという事実が現在の私にとって具体的な意味を持っており、その効果がいまだに続いていることを表現している。」

このことについては、私も「中三英文法血肉講座」において、その点については様々な例を活用して力説しているので是非、パスワードをお持ちの方は参考にしてみてください。

 

■前置詞・副詞(off と out と in と on)

 前置詞については、日本語の助詞と同様の働きをしますが、そのバリエーションは圧倒的に前置詞のほうが多いと思われます。そのため、in on at や off out など、似たようなものをどのように区別して活用するのかで問題が生じます。

非常にたくさんありますので、ここでは(off と out と in と on)の四つの解説にとどめます。この四つに関しては、それぞれ反対の方向性を意味します。そして、その方向性の対をなす「off on」と「out in」とにグルーピングします。

前者のグループは2D(二次元)、後者のグループは3D(三次元)という理解です。つまり、「平面的なものの表面へ、もしくは表面から離れて」と「立体的なものの中へ、もしくは中から外へ」ということです。

このように、似た者同士と思っていた前置詞にもそれぞれに一貫した論理があることを前提に学習を進めることができれば、非常に安定感のある学習プロセスを踏むことができるようになるのではないでしょうか。日本の学校教育での前置詞や副詞の扱いを見ていると、とりあえず存在を紹介するだけで、極端な話、正解・不正解はなんとなく「エイやっ」で決めた結果が当たった外れたの世界になっているような気がします。

このような「一貫した論理」を事例を多用して教えることのできる指導者をきちっと育成する必要性を感じます。

 

 以上のとおり、著者はこの二つの言語の発想の違いを自らの体験に即して非常に丁寧に分かりやすく解説してくれています。

日本語と英語という言語的距離が非常に離れた言語間において、このようなことができる人間が存在しているという事実は、両方の社会にとって非常に貴重なことだと思います。

ただ、著者がこのように論理的に両方の言語の発想の違いを見事に説明すればするほど、そもそも言葉の背景文化を前提としているフィールドにおいて双方が深いレベルで鑑賞しあうという活動が逆に絶望的に困難なことなのだという認識を持たざるを得なくなるような気がします。

例えば、俳句や短歌をはじめとする文学など、言葉それ自体を「鑑賞の対象」として活用するフィールドにおいて、「翻訳」を通じて楽しもうという姿勢は逆にそれらの本来の価値を的確に伝えられないばかりでなく、誤解によるマイナス作用を醸成してしまうことになりかねません。

こうなってくると、あえて「訳さない」という心遣いも時には必要なのではないかということになります。そして、そこにこそ外国語学習の本質があるのではないかという気がします。

そう考えると、以前に 書籍紹介の記事 で紹介した戸田奈津子さんは本当に奇跡的な仕事をされているんだと改めて尊敬の念を抱かざる得なくなりました。

 

 

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