日本人と英語

英語が日本語の実態をあばく

2017年6月8日 CATEGORY - 日本人と英語

前回、前々回に引き続き、「話すための英語力」から印象深かったトピックを取り上げたいと思います。

今回は、日本人が英語を学ぶことによって日本語の理解をさらに深めることになるという英語学習の副次的効果についてです。

このことについて、本書では以下のような例を挙げています。

「英語で日本の事象を説明しているうちに、これまで気づかなかったことが明白になることもあります。例えば、『総合職』と『一般職』の違いです。『総合職』を調べていくうちにcareerという単語にぶつかります。調べてみると『何らかの専門性を持ち生涯を通じて続ける仕事』だと分かります。では、企業内だとどうなるかと調べてみると、career trackという言葉が出てきます。幹部候補として昇進するコースのようで、どうやらこれが『総合職』のことらしいことが分かります。将来性がある代わりに責任が重く転勤もある形態だと理解します。ならば、『一般職』とは何か。英語では、clerical staffと出ており、事務職という意味だと分かります。日本語ではあいまいにぼかしていたのが、英語にしたとたん、ベールがはがれて内実が暴露されるという感じです。」

確かにこの感じ、よく分かります。

そして、このことは、「日本の常識が世界では通じない」ことがあるということに気づかせてくれることもあります。

この点について、私も自らアメリカ留学時代に体験したことがあります。

それは、「理系」と「文系」という言葉です。

日本では、僕は文系だから技術のことは、、、とか、逆に理系だから営業のことは、、、といった会話は当たり前のようになされます。その為、私としては日本の大学では商学部に所属していましたので、よく自己紹介の時に、「私は文系です。」的な挨拶をしようとして、適切な言葉を辞書で探しましたが見つからず、困った経験があります。

ちなみに、辞書で「文系」を調べるとartsと出てきますが、これはさすがに文脈に合わないことは分かりました。

ですから、英語圏には「理系」と「文系」という概念はなく、biology,  mathematics やbusiness, philosophy,つまり何を学ぶかしかないわけです。

このことは、実は言葉だけの問題にとどまらず、日本人の精神的な姿勢にまで影響を与えているのではないかと思うのです。

というのも、日本ではまだ自分がどんな分野に進みたいかを決める前の高校生の時点で、とりあえず「理系」か「文系」かを選択しなければなりません。

そして、仮に一旦、「文系」と決めてしまったら、もはやその人の人生はよほどのことがない限り、「文系」人生ということになります。

それに対してアメリカでは、基本的に大学二年生までは、どちらにも転べるようにliberal arts、すなわち一般教養を学ぶという前提です。そして、それらを学ぶ中で自分が目指すべき専門を決定することになります。

しかも、それで人生が決まることもなく、自らが特定の専門に進みたい、もしくは変更したいと思えば、いつでも大学に入り直してやりなおすことが一般的で、高校生の時点で「理系」か「文系」を選択するなどという発想はあり得ないのです。

ですから、私が当時、適切な言葉を辞書で探しても見つからず困ったというのは当然のことだったわけです。

この経験から、日本人が英語を学ぶことによって日本語の理解をさらに深めることになるという副次的効果を骨身にしみて理解しているつもりです。

 

 

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