日本人と英語

中学英語の必修化の知られざる理由

2018年9月14日 CATEGORY - 日本人と英語

前回より「『なんで英語やるの?』の戦後史」からテーマをいただいて書いていますが、第二回目の今回は、前回ご紹介した中学の英語教育が「事実上の必修科目」となった理由とされるものについて考えてみたいと思います。

とは言え、前回の記事で見たように、中学校の英語必修化は2002年まで名目上は行われなかったことになるので、なかなかその本当の理由を探るのは簡単ではなかったようです。

本書で著者があげられている一つ目の理由(明示されていない以上、あくまでも仮説ということになりますが)は、1953年に始まる「高校入試への英語の採用」です。

前回概観した歴史の流れからすると、1950年代~1960年代にかけて、かなりのスピードで「事実上の必修化」が達成されたことになりますが、1953年に岡山県、宮城県、福井県の3県が高校入試に英語を課し、その数は年々増加し、1961年に神奈川県が最後に導入することですべての都道府県にて「高校入試への英語の採用」が完了しました。

制度上はあくまでも「選択科目」であった英語を「高校入試」に採用することは、法律的には禁止されていたわけではなかったのですが、慣習的には非常にハードルが高いものだったようです。

非常に大きな反対があった中で、岡山県、宮城県、福井県の3県が導入したことで一気に加速しました。

このような動きは、全国の高校教師の団体による都道府県へのロビー活動が功を奏した結果起こったようです。その動機は、入試に導入されれば受験生が入試対策をすることになり、入学者の英語力のばらつきをなくすことにつなげるためです。

しかし、これはあくまでも高校側の都合によってなされたことで、中学校の現場はかなり混乱したようです。なぜなら、高校入試で採用されれば、とにかく英語を教えなければならない状況が出来上がるからです。

そして、もう一つの理由は、「産業界の強力な要請」です。

1955年に日本経営者団体連盟(日経連)が、もともと文部省内に設立された英語教授研究所を前身とする語学教育研究所に「新制大学卒業者の英語の学力に対する産業界の希望」という要望書を提出したことがきっかけで、中学校の英語教育の「事実上の必修化」へのプレッシャーが高まったという理由です。

その要望書を要約すると次のようになります。

1.基礎学力の充実 

2.語学と専門知識を結びつけた教育 

3.就職後外国文献を読みこなす程度の語学力の素養 

4.会話力を身に付ける 

5.語学を絶えず勉強するという習慣をつける 

6.中学校、高等学校、大学と一貫性を持った語学教育 

を要望する。

私は産業界が公教育に要望するならばその要望にはよほどの専門的な知識に基づく熟慮を経た上で行ってほしいと思います。

というのも現在進行形で問題となっている「小学校英語必修化」についても、産業界が公教育に強力な要請を行ったことが大きな要因となっていますし、この「中学校英語必修化」の時にも、同じような構図があったことを知り、これは非常に大きな問題だと思ったからです。

産業界は、組織(集団)としての必要性と個人としての必要性とを区別しなければならないと本書において著者は主張していますが、私はその点を非常に鋭い視点だと思いました。

日本は、幕末から現在に至るまで何らかの組織(国を含め)が英語を必要としない時はなかったわけです。ですが、だからと言って「日本国民全員に英語を学ばせる」という発想は乱暴すぎます。

全員にやらせようとするから、本当に必要とする人間を鍛える機会を作りづらくなるのであって、本当に必要な人がどれほどいるかということを真剣に考えて、数をしぼれば、もっとずっと効果的、効率的な教育環境を作り上げられるはずです。

しかも、英語は日本人すべてに必要なものではないという共通認識を作り上げれば、決して不公平なエリート教育などという批判を受けることもなくなるはずです。

このような認識をまず持ってから、今の時代が「日本国民全員に英語を学ばせる」べき時代だと判断された場合に、産業界にとって最も効率的、効果的な要望を公教育に対してしていただきたいと思います。

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