日本人と英語

結局は「やる気」である

2017年2月19日 CATEGORY - 日本人と英語

%e3%82%84%e3%82%8b%e6%b0%97

前々回と前回に引き続いて三回目、今回で最終となりますが「英語学習は早いほど良いのか」に関連して書きたいと思います。

第二言語の習得に関して、その習得開始時期の早い遅いがその習得結果にどのような影響を与えるかという問題について考えてきたわけですが、最終回の今回は、その結論として、第二言語の習得に関して、もっとも成果に直結する要因は何なのかについて考えたいと思います。

本書では、第二言語および外国語習得の開始時期の問題を臨界期説と絡めながら、脳の機能までを含めた研究結果が紹介されています。

そして、その結果を見ると、開始時期と習得結果の間には、「ある程度」の関連性が認められるものも見られますが、そのいずれもが、あくまでも「ある程度」の関連性にとどまっており、とても一般論として総括できるほどの「証拠」にはならないと言わざるを得ませんでした。

ただ、その中で唯一、習得結果との間に一般論として総括できるほどの威力を持っている要素が「当該言語習得への強い動機・意欲」でした。

そのことを記述している部分を少し抜き出します。

「大人になってから第二言語を達人レベルで習得した人たちは、そうでない人たちと比べると、数多くの認知・メタ認知的ストラテジー(方略)を使って習得しており、その場に応じて適切なストラテジーを使い分けていた。さらに、彼らは、常に自分の言語使用状況を意識的にモニタリング・自己評価して、更なる向上を目指していた。彼らは、その言語を高いレベルで身に付けたいという強い願望を維持し、そうした高い動機付けが、さまざまなストラテジーの使用に繋がっていたと言える。」

重要なことなので、重ねて言いますが、様々な研究結果を見ても、開始時期と習得結果の間には、「ある程度」の関連性は認められても、それを全面的に信じるに足る証拠としては見いだせないのにもかかわらず、大人になってからの「当該言語習得への強い動機・意欲」と習得結果の間には、結果論としてではありますが、はっきりとした関連性を見てとることができます。

このことをどうとらえるかということについて、著者は以下のように述べています。

「言語知識と言語活動を行うプロセスは、大変複雑な認知的・脳生理的な現象であり、年齢の制約を受けにくい可能性がある。なぜなら、複雑な言語知識の形成や処理には、より多くの脳機能が関与し、互いの年齢的制約を補い合ったり、特定のストラテジーなどを使たりすることで、ある種の能力の習得の可能性を遅くまで延ばすことができるかもしれないからである。ここで一番大切なことは、いろいろな脳機能は、それぞれの発達段階において、その時点での様々な内的・外的要因の影響を受けながら、常に自らを新しい環境に適応するように変化しているという点である。このダイナミックな適応と相互順応の結果が、習得の個人差につながるのではないかと考えられる。これが筆者の現時点での仮説である。」

まさに、その通りだと思います。

私は、著者のこの意見に体感上、100%同意します。

人間の脳というのは、若ければ若い程いいというものではありません。もちろん、神経細胞の数やその若々しさだけをとれば、若い人のほうが有利でしょう。しかし、ある程度の歳までは、人間は年を取っただけ「経験」によるネットワークが作られ、それによって、老化を補って余りある結果を出すことができるのです。

それは、その対象となる「活動」が複雑なものとなればなるほどその傾向は強くなります。

分かりやすいところでは、「スポーツ活動」に関しては若ければ若い程いいのに対して、「経営活動」に関しては、若い脳より経験を積んだ経営者の脳のほうがいい、と言えましょう。

「言語活動」は、「スポーツ活動」と「経営活動」の間くらいに位置する活動ではないかと思います。

であるならば、訳も分からず、頭が若いからという理由だけで、無理やり英語をはじめさせられることと、「英語を学ぶことが純粋に楽しい」「グローバルに活躍するために英語が必要だ」という気持ちになった時に、英語を自らはじめることでは著者の言葉を待つまでもなく、当たり前のこととして、後者の方が、「いい」に決まっているというのは、そもそも本書における研究結果を見ずとも明らかなはずです。

であるならば、我々英語教育業界に身を置く人間としてやるべきことは、できるだけ多くの人をできるだけ早い段階でそのような気持ちにさせてあげることと、そうなった時に、もっとも効率的・効果的なストラテジーの使用を可能とする環境づくりの二つだと思います。

私は、本書を紹介した書籍紹介の記事にて

「著者は、小学校英語教育に対して、その実施の条件(講師の能力や時間数など)については考慮が必要だが、基本的には賛成だという立場を明示されています。その点では、私はその実施の条件(講師の能力や時間数など)を整えることが現時点では決定的に不可能であるし、仮にそれが可能となる予算があるのであれば、それは中学校以上の体制に対して使われるべきだとする立場なので、相容れることはありません。」

と書きましたが、この「違い」というものを少し冷静に、そして良心的にとらえるのであれば、著者は「英語を学ぶことが純粋に楽しい」「グローバルに活躍するために英語が必要だ」という気持ちに子供たちがなるべき時が、「小学校5年生」くらいであり、私はそれは、「中学1年生」と捉えているという違いがあることに過ぎないと思えてきました。

そして、制度としてそれが始まるというように決まったのであれば、私の立場もそろそろそれに合わせて、何をするべきかを考えることが必要な時期に来ているのかもしれません。

 

 

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆