日本人と英語

「聞くこと」=「話すこと」?

2017年10月1日 CATEGORY - 日本人と英語

先日ご紹介した「『超』英語法」より、いくつかのテーマをいただいて議論していきたいと思います。

今回のテーマは著者の野口教授の主張する「聞くこと=話すこと」、すなわち聞くことができれば、話すことができるという、今はやりの英会話教材の売り文句のような理論です。

野口教授が、「聞くこと」を重視する一つ目の理由は、英語を実際に使っている場面としては、自分が話す機会よりも聞く機会のほうが圧倒的に多いという事実です。

なるほど、このことは実際に英語圏で生活をしてみると実感として分かります。

感覚的には、大げさでなく9:1いやそれ以上に「聞く」事の割合が大きいと思われます。

そして、「聞くこと」を重視するもう一つの理由は、「聞くことができれば、ほぼ自動的に話せる」ことだと言います。

これは、こういうことです。

相手が話すことを完全に聞き取ることができれば、相手に助けてもらいながら話すことができる、もっと言えば自分が理解している相手の言っていることを、自分の発言の中に取入れ、それを繰り返することで、自分の意見とすることができるからということです。

つまり、聞くことを完全にできるようになれば、相手に依存して、あるいは相手をマネすることで、自動的に話すことができるというのです。

これについては、私もなんとなく納得することができました。

しかしです。

そうなると、なおさら、野口教授の主張や、それになんとなく納得した私は、冒頭でも出てきた今はやりの英会話教材の売り文句が正しいということを認めることになりそうです。

私は、これは半分その通りで、半分違うと思います。

というのも、野口教授の主張とその教材の売り文句には、前提の違いがあるからです。

それは、学習者にある前提を求めた上で「聞く」トレーニングを行うのか、それとも全く英語が分からない人も含めて、聞き流すだけでよいとするのかという前提の違いです。

本書は、野口教授の実際の体験をもとに書かれています。

彼が、「聞く」トレーニングを積んだことによって、「話す」力につなげたということは事実ですし、それを他の人にも応用することができると確信することも問題ないと思います。

しかし、野口教授は、ご自身の経験による確信の前提を明示されずに、上記の主張をされていることで大きな誤解を与えてしまう危険があると私は思いました。(もしくは、野口教授にとっては、その前提は当然のこととされていたのかも知れませんが。)

その前提とは、「文法知識」です。

野口教授は、実際に自らそのトレーニングを行う段階では、日本の英語教育によって、十分すぎるほど「文法」に関する知識を習得されていたはずなのです。

その前提の上に、「聞く」トレーニングを積み上げれば、野口教授がおっしゃるような結果を得られることについて、私はその通りだと思います。

ですが、何も文法知識がない中で、「聞く」トレーニングをどれだけ長く行っても、ただ、わけもわからず「お経」を聞いているのと変わらないということになります。

ですから、今はやりの英会話教材についても、その教材の使用の前提によっては、非常に価値のあるものにも、無価値なものにもなるというのが私の考えです。

しかし、その売り文句は、むしろ「文法なんてやりたくない」と思っている方々にこそ、魅力的に聞こえるような伝え方のように思えて仕方ないのです。

やはり、その点については、情報を受け取る側としても、しっかりとした情報の分析をしたうえで、取捨選択することが必要だと思っています。

 

 

 

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