日本人と英語

日本語は「自閉的言語」である

2020年1月8日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「わたしたちの英語」から、いくつかテーマをいただいて書いていますが、第二回のテーマは「日本語の言語的閉鎖性」です。

前回は、グローバル社会において英語を母国語として話す人たちの「ネイティブ英語」の評価が、その「独善性」故に低くなってしまっていることについて見ました。

この「独善性」は「閉鎖性」とも言い換えることができます。

本書においては、「ネイティブ英語」を話す英米人が閉鎖的である以上に、日本人のコミュニケーションが非常に閉鎖的であることを指摘しています。

その点に関して以下の部分を引用したいと思います。

「『文明の衝突』を書いたサミュエル・ハンチントン氏によれば、世界の中で、日本はそれ自体、西欧文明、イスラム文明、中国文明などと並んで一つの文明圏を形成します。この分類には異論もあるようですが、確かに、全体として固有の食生活があり、日本語で初等教育から高等教育まで完結できます。日本独自で、自動車やロケット、ワインやウィスキーも作っています。独自の交通システムがあるし、社会インフラも一国でできています。日本語で書かれたオペラもあります。スポーツにおいても体操やフィギュアスケートなどで世界トップクラスの結果を出しています。ノーベル賞の受賞も充実しています。その一方で何百年も続く祭りや伝統芸能が豊かに残っていますし、各地に観光スポットも多いです。今ではアニメや漫画、ゲーム大国だから、日本語を学ぶことで、つまり、日本語を道具にして学ぶものは多いでしょう。現実に多くの外国人が日本に魅かれ、日本を目指します。日本に行きたい、日本で暮らしたい、日本で働きたい、という人が増えてきました。その場合に、どうしても日本語が問題になりそうです。日本で、日本人とだけ付き合い、日本語だけで仕事をしたり、生活をしたりしていると気づきにくいですが、外国から見ると、日本語はかなり厄介な代物です。グローバル時代において日本語がこのままでよりのか、という思いが私にはあります。」

自分たちではなかなか意識しないですが、上記のように、日本文化は、西欧文明、イスラム文明、中国文明に次ぐ、独自の「日本文化圏」を形成していると言ってよさそうです。

であるならば、日本人の多くが英語を学び、フランス語を学び、中国語を学んで、それらの文化を理解しようとするのが当たり前のように、世界の人々が日本文化を理解するために日本語を学ぼうとすることは当然のことであると認識する必要があります。

しかしながら、日本には、英語で言えば「ブリティッシュカウンシル」、中国語で言えば「孔子学院」のように戦略的に、自国の言葉を世界に広げようとする仕組みはありません。

いやむしろ、日本語を意識的に外国人から遠ざけ、自分たちだけの物にしておきたいという意識さえ感じられると言います。

それに関する部分も引用しておきます。

「一橋大学名誉教授の田中克彦氏は、世界の言語を大きく二つに分けます。その二つとは、母語としない人が比較的容易に学べる『開かれた言語(開放型言語)』と学びにくい『閉じた言語(自閉症的言語)』です。前者の例として英語を挙げ、『比較的容易に学ぶことができ、ますますその勢力を広げていき、内容も豊かになる』とし、一方後者の例として日本語を挙げ、『日本語は最悪の自閉言語であることは間違いない。日本語を学ぼうとしても、わざと学びにくいように工夫が凝らしてあるため、そこに大きな壁が立ちはだかるからだ。』としています。」

日本人は、「英語を学ぶ」という行為によって、自らを世界とのコミュニケーションの可能性を広げることの必要性は十分すぎるくらい感じていますが、自らの言語である日本語を「閉じた言語」にしてしまっていることに気づき、英語を学ぶことの必要性と同じくらい日本語を意識して広げていく努力をする必要があると思います。