日本人と英語

英中辞典から英和辞典へ

2019年11月22日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「日本語が英語と出会うとき」よりテーマをいただいて、書いていますが、第三回目のテーマは日本語と英語の「もう一つの仲人」についてです。

今回は、「オランダ語」という第三者的言語を介しながら始まった英和辞書の発展段階において、実は日本語よりも早い段階で英語との出会いを果たしていた「中国語」の影響について書いてみたいと思います。

本書では、1866 年から 1869 年にかけて香港でドイツ人宣教師ロプシャイトによって編まれた「英華字典」に1879年に津田塾大学の創始者津田梅子の父である津田仙らによって日本語訳を付け加えることによって作られた「英華和訳字典」という辞書が紹介されていました。

第一回目の記事では、日本初の英和辞書を作る際には、「オランダ語」という第三者的言語を仲介させていたという事実を確認しました。

しかし、オランダ語は英語と同じヨーロッパ言語であり、日本語との距離は非常に大きいと言わざるを得ません。

それに対して、中国語との距離は、漢文の素養のある日本人であれば、すでに辞書の体をなしている「英中辞典」の「中」の部分を「和」に変えることによって、より効率的に「英和辞典」を作ることができたということです。

そもそも、日本においては、1879年の「英華和訳字典」の完成を待たずとも、そのオリジナル版が、特に明治政府内でかなりの数使用されていたようです。

いわゆる「英中辞典」を日本政府がそのまま使用できたのは、多くの政府の官僚たちに江戸時代以来の「漢文の素養」があったからです。

ただ、それはあくまでもヨーロッパ言語であるオランダ語と比べてということであり、日本人が現代にまで引きずる日本人と英語の「距離」そのものが解消されたわけではないと思います。

そもそも、中国語も日本語と同様にヨーロッパ言語ではありませんので、そもそも「英華字典」を作る段階でいくらかの「距離」が作られてしまったはずです。

既にその「距離」を内在してしまっている状態から、英語とは比べ物にならないくらい日本語との間に長い交流の歴史のある中国語とはいえ、さらにもう一段階の「距離」が作られてしまうわけですから、それは私たち日本人にとって大きなハードルとなってしまうことは当然かと思います。

オランダ語と英語の距離は短いが、オランダ語と日本語との距離は大きい。

中国語と日本語との距離は短いが、英語と中国語との距離は大きい。

どちらにしても、ハードルが根本的に解決されることはないと思います。

であるならば、今こそ日本人には、その大きなハードルを実質的に超えるためにいままでにない英語との付き合い方を模索する必要があると思います。

 

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