日本人と英語

「英語ができる」レベルとは

2019年12月4日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「私たちはいかに英語を失うか」からテーマをいただいて書いていますが、第三回目の今回が最終回です。

前々回の記事では記憶の仕組みについて、そして前回の記事においてはその仕組みをもとに英語を維持することを容易にするために必要なレベルの存在について言及しました。

最終回のテーマは、その「『英語ができる』レベル」とは具体的にどのようなレベルかということについてです。

以下その説明となっている部分を本書より引用します。

「帰国子女と言っても、幼稚園から小学校一年生くらいの年齢で帰国すると英語の保持は非常に難しくなります。というのも、子供は年齢が低ければ低いほど早く英語を忘れてしまうからです。ではなぜ、年齢の高い子供に比べると早く英語を忘れてしまうのでしょうか。それは、英語忘却のスピードは、海外にいる間にどのレベルまでの英語力を身に付けたかに関係しているためです。ある一定のレベル以上の英語力を身に付けてから帰国すると、帰国後もそう簡単には英語を忘れないという考え方は、日本では『決定的閾値仮説』と言われます。これは、『第二言語の習得度において、一旦ある決定的な地点(閾値)を超えると忘れにくくなる。』ということです。」

ここまでが、そのようなレベルが存在していることの確認にあたる部分なのですが、ここではその知識の「忘れにくさ」についてのみ指摘されていますが、これは私が前回指摘した、一旦忘れてしまったとしてもそれを「取り戻す時間の短さ」という意味においても同じことが言えると考えています。

なぜなら、「忘れない」ことも「思い出す」ことも、第一回目の記事で見たようにどちらも「検索可能性」と同義と考えられ、結局は記憶された知識同士のネットワーク(関連)化の問題だととらえられるからです。

それではその「閾値」とは一体、どの熟達レベルだと考えればいいのでしょう。その指摘部分を以下に引用します。

「具体的には、アメリカ合衆国国務省の国際研修機関(Foreign Service Institute)が作成したスピーキング能力測定テストで3以上のレベルでの習熟が必要という結果が、クラークとジェルデンという学者たちによって示されています。これはTOEICの評価基準の基礎としても利用されているものですが、その『レベル3』とは語彙や文法がかなり正確に身についているだけでなく、さらに社会言語的能力もある程度含まれる(一般的な仕事や学校生活を不自由なくこなせる)かなり高度な英語力です。決定的閾値となる英語力のレベルをより正確に示すには今後の研究成果を待つしかありませんが、今までの研究から言えることは、幼稚園や小学校低学年で帰国した子供は日常会話に必要な語彙や流暢さを獲得していますが、文法的知識を体系的に得ているとは言えません。語彙力や流暢さはみるみる衰えていきます。それに対して、文法力はそう簡単には衰えないということが言語学者の研究で明らかになっています。」

一般的な理解ですと、家族で海外に赴任した場合、大人と比べて小さな子供のほうが英語を早く身に付けるから、早く英語に触れさせることのメリットとして取り上げられがちです。

しかし、この報告からは、重要なのは英語への接触の早さではなく、最終的に「閾値」に達したかどうかだということが良く分かります。

このことは、帰国子女の英語力に限った問題ではなく、すべての日本人が英語と向き合う時に必要な知見だと思います。

なぜなら、極端に「英語環境」が少ない日本社会では、いかに学校教育内でこの「閾値」に到達させるかが問題となるわけですから、幼児教育による発音や流暢さなどを重視するのではなく、文法の体系的理解とそれに基づく文章作成力をいかに構築させるのかを重視すべきであることが、この指摘が明らかにしていると考えられるからです。

ですから、小学校英語導入や中高の極端なオーラル重視に伴う文法軽視の学校教育の方向性は非常に大きな懸念事項であり、教育当局には、日本人にとっての英語教育の根本設計を考える上でもう一度このことについて熟考していただきたいと思います。

 

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