日本人と英語

英語をESLとして学ぶか、EFLとして学ぶか

2018年8月3日 CATEGORY - 日本人と英語

三回にわたって「全解説 英語革命2020」からテーマをいただいて書いてきましたが、今回で最終回としたいと思います。

第四回目のテーマは、「英語との付き合い方」による英語学習です。

「英語との付き合い方」として挙げられるのは、基本的には英語を母国語として自然に身に着けるか、それとも別の母国語を持ち、英語は意識的に学習して身に着けるかの2通りの付き合い方しかないように思えます。

そして、日本人としての付き合い方は当たり前ですが後者となるため、英語を「意識的に学習する」というものになります。

ですが、この「意識的に学習する」という付き合い方にも実は2通りあるという事実について考えてみます。

それは、英語をESL(English as a Second Language)として学習するか、EFL(English as a Foreign Language)として学習するかの2通りです。

まず、ESLとは第二言語としての英語という意味で、その国で英語が公用語として扱われていることを意味します。

例えば、インドやフィリピンの英語との付き合い方です。

一方、EFLとは外国語としての英語という意味で、日常生活では英語は使わずに、外国人とのコミュニケーションが必要なときにのみ国際語共通語として英語が扱われていることを意味します。

例えば、日本や中国、韓国の英語との付き合い方です。

この二つの違いは、その国において「英語を使う」環境が存在しているかどうかということです。

前回の記事にて、英語を話せるようにさせるための「方程式」とは、「文法」を身に付けた上で「英語を使う」環境を実現することで「文法」を「会話」に結びつけることだと言いました。

この「方程式」は、その国が英語をESLとしているか、EFLとしているかに関わらず、母国語でない以上共通して成立します。

しかし、ESLの国では、社会に「英語を使う」環境が存在しているため、学校教育では、方程式の前半部分である「文法」を身に付けさせ、それを「会話」に結びつける前段階までを担うだけで済んでしまいます。

前回の記事で理想の学校英語教育をするために多大なコストと時間がかかると指摘しましたが、これらのほとんどが、その後半部分の「英語を使う」環境を作るために必要なものなのです。

グローバル化が叫ばれる今の日本であったとしても、中長期的に見て社会の中枢が日本語ではなく英語で動くようなESLの国になるとは考えられないので、多くの人が英語を使わないと生活が成り立たないという状況にはなりえないでしょう。

そのような社会である日本で、このコストや人材の問題を解消をして理想の学校英語教育を確立することは費用対効果を考えると現実的ではありません。

なぜ、日本の大企業の中で、社内公用語化に成功したのが楽天だけなのか。

その答えは、社会(会社)の中枢が日本語ではなく英語で動くようなESLの会社にしてしまったのが楽天だけだったことです。

それと同じことを日本全体でする覚悟ができない状態での安河内先生の2020年英語試験改革以後の学校英語授業のあり方論は、もう少し慎重な目で見るべきかと思います。

 

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆