日本人と英語

学校での「英語は英語で」教えるの是非

2020年6月21日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英語コンプレックス粉砕宣言」からテーマをいただいて議論をしていますが、第二回目のテーマは「英語は英語の是非」についてです。

前回、「発音記号」を学校で教えないことの理由の一つとして、日本人の教師が完璧な発音ができないのに、「できる発音」だけ教えて「できない発音」は諦めるように指導するということが、教師という立場からして憚られるからではないかというある種の「完璧主義」を挙げました。

しかしながら、今回提示する「英語は英語の是非」というテーマで考えるとこれは全く逆のことを問題にせざるを得ないのです。

2020年度からは中学校の英語の授業も基本的に「英語で」やることになっています。

これについて私は文科省が一旦発してしまった「建前」と「本音(現実)」の混同を強行すること以外の何物でもないと思っています。

著者のお二人は対話の中でかつての中学生と比較した現在の中学生の「文法」の理解度の低さを大いに嘆かれています。

つまり、現在の中学生は、「英語は英語で」どころか、日本語で英語の仕組みを理解することすらできていない状態だということを指摘されているわけです。

その指摘の生々しさをご理解いただくために、お二人の対話の一部を引用したいと思います。

「英語で関係代名詞とか不定詞とか説明するわけですか。もう、、、狂っているとしか思えない。(齋藤)」

「基本的な文法事項は全て中学で学びますが、それを英語でやろうとすると、理解度はものすごく下がると思います。それに何の意味があるのでしょうか。(齋藤)」

「日本語で授業を受けている今の中3でさえ、約35%はbutとbecauseが区別できていないんです。それを英語で教えるようになると、この割合はもっと増えるでしょう。(鳥飼)」

「文法を英語で教えた結果、どれほどひどいことになるか、大体予想がつきます。その愚かしさに気付いてほしいですね。(齋藤)」

「きっと数年後、『全国学力調査』で中学三年生の英語の成績が惨憺たるものになって、また議論が始まるのでしょう。また、的外れな分析をしないか心配ですが。(鳥飼)」

もし、学校教育が「完璧主義」を貫くのであれば、絶対に「英語は英語で」などと言うことは考えられないはずです。

それは切実なる現場の教師の声でもあるはずです。

しかしながら、現実には文科省が鳥飼先生がご指摘されるような「的外れな分析」によって決めた「建前」を強行し、「本音」を顧みることをせずに2020年度が始まろうとしているのです。

齋藤先生でなくとも、「その愚かしさに気付いてほしい」と言わざるを得ません。

 

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