日本人と英語

インドにおける「親英語派」と「反英語派」

2018年12月28日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英語の帝国」よりテーマをいただいて書きたいと思いますが、第一回目のテーマは、支配を受ける側の英語に対する意識です。

この記事の中で私は、「今の日本における小さいころから英語を身に付けさせるために日本語も分からない子を英会話教室に通わせる親の姿は、多くの土着の言葉が英語に置き換えられたプロセスに見事に重なるように思えます。」というように、英語化された多くの国々で見られた自ら進んで英語を受け入れるという姿勢について言及しました。

本書においては、このプロセスが紆余曲折を経ながらも、上記のような自ら進んで英語を受け入れる姿勢を示す「親英語派」と言うべき人々が大勢を占めることで最終的に英語化が進んだ様子が描かれているわけですが、インドにおいてはその動きに反対する動きについても詳しく説明がありました。

その「反英語派」として紹介されていたのがインド独立の父マハトマ・ガンジーです。

以下に引用するのは、1908年に書かれたガンジーの著作の一節です。

「何百万という人々に英語の知識を与えるのは、彼らを奴隷にすることだ。自国の自治を論ずるのに外国語を使わなければならないとは、悲しいことではないか。・・・私が法廷に出たら、英語を使わなければならず、弁護士になっても母語を使うことが許されずに外国語に翻訳してもらわなければならないとしたら、それは苦痛の極みではないか。これが奴隷の証でなくて何なのか。この事態に対して英語を責めるべきか、私自身を責めるべきか。インドを奴隷化してきたのは私たち英語を話す者(インド人)たちに他ならない。国民の怒りは英語ではなく、英語を話す私たちに向けられるべきものだ。」

ガンジーは、イギリス保護下のポールバンダル藩王国の宰相の息子として裕福に育ち、ロンドンに留学して弁護士になった後、イギリス連邦の一つである南アフリカにて、弁護士事務所を開設しました。南アフリカでの人種差別を経験したことから、「インド独立」への信念を持つようになったのです。

この流れを理解した上で、もう一度上記の引用を読むと、ガンジーの複雑な心情が臨場感を伴って迫ってくるような気がします。

ガンジーは、英語という言語がどれだけインドの民衆を支配する道具として機能しているかを痛いほど理解しているのに、自らが英語でものを考えることによってしか「インド独立」の運動を行うことができないというやるせない状況を憂いているのです。

そして、英語で教育を受けて弁護士として活躍してきた自分自身の存在こそが、インドの民衆を奴隷のようにしてきた状況に貢献してしまっていることを明確に自覚してしまっているのです。

この不幸の深さと意味をそうなる前に理解して、自分たちで何とかしようと奮闘したのが日本の幕末から明治にかけての人々でした。

だからこそ、「今の日本における小さいころから英語を身に付けさせるために日本語も分からない子を英会話教室に通わせる」という親御さんの決断は、その努力によって作り上げられた日本語の遺産を全て捨てるという覚悟をした上でのみなされなければならないのです。

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