日本人と英語

言語の難しさと簡単さは表裏一体

2018年12月12日 CATEGORY - 日本人と英語

以前に書籍紹介ブログにてご紹介した「英語のルーツ」よりいくつかテーマをいただいて書いていこうと思いますが、第一回目のテーマは、「言語の難易について」です。

私は、自身が主宰する「中学三年分の英文法を血肉にする講座」の超特急2泊コース快速5泊コースのいずれのコースでも、英語は数ある言語の中で最も「簡単」な言語だと言って、受講者を安心させてから講義を開始しています。

その理由として、英語は語順が決まっていることから、「基本的」にはたった3つの文型ですべてのことを言い表せるため、この3つの文型さえマスターしてしまえば、確実に身に付けられる言語であることをあげています。

しかし、本書を読んで私のこの確信が、必ずしも正しいとは限らないかもしれないという「見方」もある可能性に気づかされました。

かつて英語はラテン語や現在のドイツ語などと同様に、各単語を語形変化(活用)させることで、その単語一つだけでその役割を明らかにする仕組みを持った言語でした。

つまり、語形変化とは別の概念である助詞を多用する日本語と同じように、語順に頼ることなくアメーバーのように各単語を配置できてしまう言語だったのです。

ですから、かつての英語では、上記のように「たった3つの文型ですべてのことを言い表せる言語であるため、それさえマスターしてしまえば、確実に身に付けられる」というような指導はできなかったはずです。

しかしながら、語順が固定されてしまっている現代の英語には、アメーバーのように縦横無尽に単語が行き来することで微妙なニュアンスを伝えることができる言語と違い、そのままでは非常にぶっきらぼうで、小回りが利かないという弱点が生じてしまうのです。

その弱点を英語が乗り越えられた理由、それは前置詞や助動詞を高度に発達させたことです。

これらを名詞・動詞・形容詞などを複雑に組み合わせて作ったセットフレーズ(熟語)を無数に準備することで、微妙なニュアンスを表現できるようにしたため、これらの複雑性を考えると必ずしも英語が「簡単だ」とは言えないのではないかというわけです。

なかなか理屈の通った説明でしたが、それでもこの説明だけでは、私の確信する現代英語の「簡単さ」をひっくり返すまでには説得力を持たないように感じました。

しかし、著者の次の指摘で、その説得力は格段に高まりました。

例えば、「西暦~年」を表すADという言葉、これは語形変化の仕組を持つラテン語の「Anno Domini」の略なのですが、「Anno」は「Annus (年)」という名詞の「奪格(年において)」、「Domini」は「Dominus(主)」という名詞の「属格(主の)」を表しており、「主(キリスト)の年において」という意味をこの二つの名詞のみで表すことができています。

しかし、これを現代英語でやろうとすると、このような「格」が使えないため、以下のように前置詞や形容詞に頼らなければなりません。

「in the year of the Lord」

なるほど、と言わざるを得ない説得力があることは否定できませんでした。

とは言うものの、私としてはその威力はトレードオフ的な見方の存在に気づかされたということに限定され、英語は数ある言語の中で最も「簡単」な言語だという確信を揺らぐほどのものではございません。

私はフランス語の学習経験がありますが、フランス語は動詞にのみ語形変化(活用)が豊富に残る言語なのですが、この活用に大いに悩まされた経験があるので、この活用が名詞や形容詞にまであることを想像しただけでも恐ろしく感じるからです。

ですから、この説得性についてはひとまず忘れて、これからも英語が卓越して「簡単」な言語であるという殺し文句は使い続けることにします。(笑)

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