日本人と英語

語学力は「越境コミュ」力の一部でしかない

2018年12月7日 CATEGORY - 日本人と英語

今まで三回にわたって書籍紹介ブログにてご紹介した「英語教育幻想」からテーマをいただいて書いてきましたが、第四回目の今回が最終回です。

最終回のテーマは、そもそも「語学力の限界」です。

著者は、語学力は「(越境)コミュニケーション」という大きな概念を構成する要素の一つに過ぎないと言います。

このことは、英語学習者がまず理解しなければならないことです。

とかく企業は、海外駐在者に必要な要素として、「語学力」を掲げようとしがちですが、その基準で選抜した結果、仕事が回らないということになることが少なくありません。

逆に、「語学力」がゼロで赴任したのにもかかわらず、非常に短期間で大きな成果を上げるというケースもあります。

このような現象について考えた時、著者の言う語学力は「(越境)コミュニケーション」という大きな概念を構成する要素の一つに過ぎないという言葉が非常に説得的に働くように思いました。

このことを指摘するエピソードを著者がいくつか挙げられていたので引用します。

(かつてアメリカに駐在した経験のある社員のコメント)

「ある上司を見てて思ったんですが、すごく英語ができる人なんですけど、できるだけに、難しい言葉を使って、逆に相手が理解しているのかしてないのかもかまわず、一方的に話しまくるみたいな人がいて。だから、あれ、言葉って、あんなにできるのに、あんなにコミュニケーション取れないんだって、思ったことあるんですよね。」

(中国に5年ほど駐在した経験のある社員のコメント)

「赴任当初、中国人は約束や時間を守らない、指示に従わない、と思い、中国人は嫌だという態度で仕事をしていました。しかし、それだと現地社員もいつまでも動いてくれないし、自分も楽しくない状態が続きました。約1年が過ぎたころ、『性善説』で現地社員と接している同僚を見て、自分も変わろうと思いました。結局、人と人とのやり取りなんで、嫌いになっちゃうとそこでビジネスもビジネス以外の関係も終わってしまうので、基本的に人をもっと好きになれる人の方が、コミュニケーションに向いている気がします。」

(かつて日本の植民地だった国への駐在経験のある社員のコメント)

「文化が違えば考え方が違うのは当然なので、相手をいかに理解するかという意識を持つというところ、こういうところが総合力となってコミュニケーションができるようになると思うんですよね。つまり、我々はこの国で仕事をさせてもらっているという謙虚な気持ちで仕事をするということが大切だということだと思います。」

これらのコメントから私は以下のようなことを考えさせられました。

それは、「語学力」×「伝え合おうとする意志」×「文化的知識」というそれぞれの要素の掛け算によって、「(越境)コミュニケーション能力」と言われるものが成り立ち、そして最終的な仕事における能力は、「(越境)コミュニケーション能力」×「仕事の専門的能力」であらわされるのではないかということです。

ですから、それらの内の一つでもゼロであれば、最終的な仕事における能力はゼロになってしまうし、いくら「語学力」を身に付けるために必死になっても、それ以外が極端に低ければ、なかなか成果は上がらないでしょう。

当たり前ですが、この視点を見落としている日本の企業も個人も少なくないことは確かだと思います。

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