日本人と英語

「障害」に関する表現

2022年4月3日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英語の新常識」からテーマをいただいて書いていますが、第六回目のテーマは「障害に関する表現」についてです。

以下に、「障害」に関する表現の変遷について本書の内容をまとめてみます。

日本でも同じですが、人権意識がまだ低かったころは、「deaf(つんぼ)」「blind(めくら)」「retard(たりない)」のような直接的で侮蔑的な表現が使われてきましたがこれらは完全に死語となったと考えられます。

その後、間接的に「障害」という意味で名詞として「handicap」、形容詞として「handicapped」、「crippled」もしくは「afflicted」という表現が使われるようになっていきましたが、現在ではこれらもタブー視されています。

また、physically challengedなど、~challengedという形も用いられました。例えば、aesthetically challenged(美的なチャレンジを受けた=醜い)、chronologically challenged(年代的なチャレンジを受けた=年取った)やもっとふざけたところでは、horizontally challenged(水平的にチャレンジを受けた=太った)、vertically challenged(垂直的にチャレンジを受けた=背の低い)などです。

しかし、このようなふざけた方向性に発展しがちなこともあって、これらも現在ではほとんど姿を消しました。

人権意識の高まりを受けて、アメリカでは1990年に「Americans With Disabilities Act」という法律が制定されました。

しかしながら、この法律のタイトルの中にある「disability」には「無能」「無力」という意味もあるのでこの語を嫌う人もいるというよく分からない議論につながりもしました。

ただその一方で、実際にはそれに代わる言葉についてはまだコンセンサスが得られていないようです。

ここで私見になりますが、男女の性差と同様に「障害」のあるなしは「事実」として存在するわけであって、それを「見ない(存在しない)」ようにするということは、単なる「言葉狩り」のような状況を作り出してしまうこととなり、根本的な解決にはつながらないように思います。

日本において「障害」の存在をそのまま受け入れるという意味では「五体不満足」の著者である乙武洋匡さんの存在が大きいように思います。

前回まで主に「人種」に関わる呼称について見てきましたが、それらの歴史はマイノリティ(少数派)に対するマジョリティ(多数派)側の「呼称の変遷」の歴史とも言い換えることができました。

そして、その変遷の目的地はその呼称で呼ばれるマイノリティの側の「不快感」をゼロにするところにあるように理解しました。

その意味で言えば、「障害」についての表現についても全く同じ目的地が存在していると考えられます。

その目的地に近づくための知恵として本書で紹介されている「『人』を先に出す表現」という新しいイデオロギーはかなり納得度の高いものでしたので以下に引用します。

「『障害のある人』はa disabled personではなく、 a person with disabilitiesというようにまず『人』を先に出すperson-first-languageなどと呼ばれる用法が最近では主流になってきました。障害のある人はまず『人』であり、障害はその人の存在にとって二次的なものに過ぎない、という考え方です。」

つまりは、あくまでも言葉を使う側がその相手の事実を事実として受け取りながらも「人」として誠意をもってコミュニケーションを図ることを最優先しようという姿勢です。

上記で触れたような「言葉狩り」や「おふざけ」につながるような方法に比べたらずっと受け入れやすい理想的な表現だと思います。

 

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