日本人と英語

アクティブラーニング到来の2010年代後半

2026年6月15日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログで「日本の英語教育のゆくえ #367」の中で、その時代その時代において計画された「本来あるべき英語教育」の形が、実際にはうまく機能せずに、2023年度『全国学力テスト』の英語の調査結果がそれ以前と比べてもマイナスになるという衝撃的な事態を引き起こしてしまった理由は何なのか、前々回、前回に引き続き第三回目は、「2010年代後半」です。

2017年の学習指導要領の改訂の中心は、「小学校5・6年生の英語教科化と3・4年生の外国語活動導入」と「アクティブラーニング(英語に限らず)の導入」でした。

「アクティブラーニング」とは、グローバル化が進み、知識を単に暗記するだけでは対応できない社会に対応するため、従来の「受動的な学び」から脱却し、生徒が自ら考え、議論し、主体的に学ぶことを強調する学習手法です。

それを具現化した実際の授業とは例えば、ディベート、ディスカッション、プレゼンテーションと言ったものです。

しかしながら、これは決してうまく機能しているとはとても言えません。

なぜなら、その教育の評価システムとして最も存在感のある「大学受験」のシステムがそれに対応していないからです。

それが最も衝撃的に白日の下にさらされたのが、2020年の「英語4技能試験」として英検・TOEIC・TOEFLなどの外部試験を利用して「話す力」と「聞く力」の評価を導入しようとしたが結局見送られたという事件でした。

私は、この一連の流れを「反対」の立場からこのブログにおいてずっとウォッチしてきました。

この問題の本質とは何かと問われれば、明らかに「多面的・身体的・統合的」能力とも言える「話す力」の評価を従来の「一点の上に何人もの受験生がひしめき合っている中で数値だけを利用して合否を決定する」という厳密な形式的評価システムである「大学受験」の枠内で無理やり対応しようとしたことです。

しかも、測定側がその能力の測定における責任を放棄(それはその能力がないことの証明)して、外部の民間組織に任せたという「無責任さ」のみならず、その民間組織も一社ではなく、様々な出題方法も本来の対象者も異なる試験を無理やり「換算」して比較するという「ずさんさ」の両面であまりにお粗末な方法を取ろうとしたのです。

その結果、当然のことですがこの試みは挫折し、結局見送られました。

このことから、この国の教育を担う側がまだまだ「アクティブラーニング」なるものを生徒に対して教え導く準備が全くできていないと評価せざるを得ないでしょう。

ちなみに私がこう考えるのは、私の娘の学校の事例を見ているからです。

私の娘は「IB(国際バカロレア)」の日本語認定校で学んでいますが、その運用は私が見る限り非常にうまくいっているようです。

というのも、その学校がある大学と連携して、従来の大学入試の枠外でこのような活動の評価が大学入学に直結するからこそ、生徒も教師も安心して本格的に「アクティブラーニング」を学ぶことが可能となっていると見ています。

もちろん、点数化はされますが、それは実に「多面的・身体的・統合的」な評価であり、それぞれの学習者の主体性が問われる仕組みが実現されているのです。

教育(方法)の運用と評価は、その哲学が根本的なところで一致していう必要があり、またそうでなければ最終的な効果など出るわけはないのです。