日本人と英語

ALTの使い方

2015年8月12日 CATEGORY - 日本人と英語

ALT

 

 

 

 

 

 

 

前々回と前回に引き続いて、今回も「仕事で英語が使える日本人を育てるために必要なこと」という本からの引用です。

「『英語はALTに教えてもらうもの』というスタンスは考え物です。なぜなら、英語を全てALTに発音してもらってリピートすることを続けていくと、結果的に英語を話す外国人は、自分たちの不完全な英語を直す「先生」だという認識をしてしまうことで、英語を話す外国人に劣等感を持つようになるからです。(中略)ネイティブスピーカーは子供に対してではなく、指導者を研修するために使ったほうが賢明です。その方が、日本人全体の英語のスキルアップにつながるのではないでしょうか。」

その通りだと思います。

ALTを使う外国語教育のスタンスは、直接英語で英語を教えるという「直接法」を意識したものから来ていると考えられます。しかし、この「直説法」は英語をシャワーのように浴びるという条件の下で初めて機能するものであって、月に何回か、そして数十人に対して一人というような条件では全く機能しないのは明らかです。

それは、メリットが少ないということでは収まらず、上記のようなむしろデメリットが生じるという、お金をかけてマイナスを作り出すというあまりにも不幸な状況であると言えます。

ではどうしたらいいのか。著者は以下のような提案をしています。

「ALTは教える人としてではなく、異国からのお客様として授業に活かします。3年生から二か月に一度くらい、英語を話す人と直接会って話す時間を作ります。英語を言語として捉える動機づけをするのです。」

私は小学校の英語教育については一貫して反対してきていますが、現実問題として行われてしまっている中では、著者が指摘する上記のようなことが最善策かと思います。

しかも、私はそのお客様としてのALTは必ずしも英語のネイティブスピーカーでなくてもよいと思います。というよりかは、むしろ英語を外国語として学んだうえで、英語をコミュニケーションツールとして使用するノンネイティブとの交流のほうがずっと小学生にとっては価値が高いと思います。

「できるだけ英語を話したくない」という消極的な表情をたたえた日本人の先生の横で、月に数回かしか来ないネイティブのALTによる英語の授業を受ける日本の小学生たちは、英語を使って間違えると「恥ずかしい」というような感覚を植え付けられるくらいが関の山です。

それに対して、お国訛りでも、どんどん話すノンネイティブな外国人と英語が上手ではないけれども必死にやり取りをする小学校の先生の姿をみた生徒は何を感じるでしょうか。

きっと彼らは、その姿から勇気を与えられるに違いありません。月に何回かの英語の授業に期待される効果としてそれは十分すぎるものだと思います。逆に、その限られた時間の中で行われるものに対してそれ以外の期待をすることに現実性などあるはずもありません。

もういい加減にこの簡単な理屈に気が付いて、内部から改革をするような先生が現れてもいい頃だと思います。

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