日本人と英語

なぜ英語の歌を日本語にする間延びするのか

2020年12月25日 CATEGORY - 日本人と英語

今回より、書籍紹介ブログにてご紹介した「理想のリスニング」からテーマをいただいて書いていきたいと思いますが、第一回目のテーマは、「言語におけるストレスアクセントの有無」です。

言わずもがな英語はその特徴が「ストレスアクセント」にあると言っていいくらいに、単語の単位だけでなく、文章の単位にまでもはっきり強弱をつける言語です。

それに対して、日本語は「上り」と「下り」の抑揚をつけるのが特徴の言語です。

日本語を母国語とする私たち日本人が英語を学ぶということは、音声の点から見ても正反対の性質をもつ対象にチャレンジすることでもあります。

そこで思い出したことがあります。

洋楽を聞いていて、「ああ、これいい歌だな、かっこいいな」と思って、その歌の日本語訳を調べてみたら、その日本語文のダサさにあきれてしまうことがよくあります。

その中でも最もその落差の大きいと私が感じるのがマイケル・ジャクソンのビリージーンです。

例えば、こんなフレーズがあります。

「僕は昔からこう言われてきた。『女を泣かすなよ』ママにもいつもこう言われてきた。『嘘が本当になる』」

あの格好いい曲とダンス、そして英語で聞いていると何の問題もない聞き心地なのに、日本語に直すと、こんな野暮ったい文章になってしまうのです。

この件について、本書に興味深い指摘がありましたので、その部分を引用します。

「(キング牧師の演説の中で”One hundred years later”というフレーズが列挙反復されている事例を取り上げ)キング牧師の演説はかなり極端な例ですが、英語では日常的にこうした列挙モードが使われています。そこでは強調と反復の組み合わせが効果を生み出し、さらには『心地よさ』にもつながっています。こうした列挙は日本語にも翻訳することも可能です。しかし、どこか間延びして感じられもします。日本語は土台のところに『強』と『弱』が交替するような繰り返しのリズムを持っていないのです。こうした列挙を持続させるための構造が日本語にはないということです。もちろん、しつこく何事かを繰り返す日本人もいくらでもいます。しかし、その繰り返しが、英語では一種の言語的なパフォーマンスとして演出されやすいのに対し、日本語の場合は『繰り返した』という風には書かれても、列挙などの手法とともにパフォーマンスとして差し出されることは少ないのです。」

ビリージーンの上記のフレーズとこの指摘が100%シンクロしているわけではありませんが、私の長年の疑問に対するかなり有効な解答へのヒントとなったような気がします。

そして、もう一点、ビリージーンを英語で聞いている時に「何の問題もない聞き心地」を日本人である私が感じられているという事実は、英語のリズムに小さなころから親しんでいない日本人であっても、リスニングの基礎になる部分は少なからず有していることを意味していることではないかということです。

そこで、次回はその「リスニングの基礎」をどのようにトレーニングしたらよいかの具体的な方法についてピックアップしてみたいと思います。

 

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