日本人と英語

英語は「構造的」な言語

2021年11月24日 CATEGORY - 日本人と英語

以前にご紹介した「伝わる英語表現法」からテーマをいただいて書いていますが、第五回目のテーマは「英語の性質(その3)」です。

今回は、本書であげられる英語における三つの重要な性質のうちの最後である

「英語は『構造的』な言語である。」

について見ていきたいと思います。

そもそも英語は5文型しかなく、全ての文が必ず5文型のいずれかの構造になるという意味で「構造的」であるということについてはこのブログをご覧の皆さんには当たり前のこととしてご理解をいただいていると思います。

ですが、今回取り上げるのは、文型にとどまらず、いろいろな構造上の特徴があり、しかもそれら構造上の特徴が言葉の体質、すなわちそれが物の見方、考え方を決めているという事実についてです。

以下、該当部分を引用します。

「例えば、箱のような立体的なものの大きさを縦、横、高さで表すと、三通りの言い方があります。

① The box is 50cm long, 30cm wide and 20cm high.

② The box is 50cm in length, 30cm in width and 20cm in height.

③ The box has a length of 50cm, a width of 30cm and a height of 20cm.

問題となるのはこれを、

The box is 50cm in length, 30cm wide and has a height of 20cm.

とすることです。

なぜなら、この文では三つの言い方が入り混じって同形・同質ではないからです。このように、英語のandには日本語では考えられない徹底したところがあります。それは単に英語の構造上の特徴にとどまらず、英語全体の思考パターンと言ってよいと思います。」

つまり、英語では非常に日本語に比べて圧倒的に広い範囲において論理構造から外れることを極端に許さないということです。

また、本書にはこれ以外にも次のような指摘もありました。

「交通信号は文明である」

を英語に訳しなさいという問題の場合には、ほとんどの日本人が当たり前のように、

「The traffic lights are civilization.」

とするでしょう。

しかし、これはおかしい。be 動詞は「数式のイコール」と同じですので、左辺と右辺が完全に一致しなければならないのです。

例えば、日本語では「私たちは幸福です。」と言えても、「我々(実体のある人間)」は「幸福(実体のない概念)」そのものではないので英語では「We are happiness.」はあり得ず、「We are happy.」としなければなりません。

このように、「traffic lights(実体のある物体)」と「civilization(実体のない概念)」がイコールで結ばれることはあり得ないので、

The traffic lights represent civilization.

のように「traffic lights」が主語であることに責任を持たせた動詞を選択する必要があるわけです。

もっと極端な例として、実際に海外留学などで「英語を使う」機会を与えられるとすぐに気が付く典型的なものが挙げられていました。

レストランにて「何にしますか?」と聞かれた日本人がよくやってしまう「私はライスです。」というもの。

私たちは、この明らかに論理が破たんしている文を平気で作ってしまう日本人のメンタリティを自覚し、英語の「構造的」な性質を最大限に意識する必要があります。

とはいえ、この性質を意識する癖をつけさえすれば、英語を学習する際のルールの信頼性が高いという意味で安心材料になります。(逆に言えば、外国人が日本語を学習する際にはルールを明示することすらできないことになります。)

しかも、私たちが日本語を使う際にもこのことを常に意識することで、「構造的(論理的)」な物の見方、考え方につなげることができるはずです。

母語という「思考の基礎」自体の論理性にここまで大きな差があることを見せつけられてしまうと、科学技術の発達がなぜ日本ではなく、英語をはじめとするヨーロッパ言語が用いられている地域で起こった理由が明確になってしまったような気がします。

 

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