たまたま ~The Drunkard’s Walk~
2022年1月21日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
今までに「確率」に関する興味深い事例を二度ほど紹介しました。
一つは「クラスに誕生日が同じ子がいる確率」、もう一つは「応募した弥生人のそっくりさんの数と名前の数との合計が841件になる確率」です。
どちらも敬遠されがちな「確率」を身近に感じられるエピソードであり、これを機会に少し突っ込んで学んでみたい気持ちになり、一冊の本をよんでみました。
タイトルは「たまたま」。
と言っても決して軽い内容ではありません。
副タイトルに「日常に潜む『偶然』を科学する」とあり、内容は非常にアカデミックなもので本の帯には天才宇宙物理学者であったホーキング博士が絶賛したとあります。
まず著者は、本書の目的を「身の回りの世界における『偶然』の役割を例を挙げて説明し、またどうすれば人間の営みの中でそれが作用していることが分かるかを示すこと」だとしています。
そもそも私たち人間には「直観」というものが備わっています。
そして、私たちはこれを進化の過程で獲得しました。
ただし、この進化は私たち人類の生活する環境が非常に長い間「単純」だったことに適用するために起こったものです。
それは、いくつかの現象の組み合わせである「環境」をいちいち検討しながら判断するよりも、その環境がある程度「単純」な組み合わせであれば「直観」を活用することによってその判断の手間と時間を省くことができ、結果、例えば「狩り」の成功確率を高められたからです。
しかし、現代社会はもはやそのような「単純」な環境ではなく、圧倒的に複雑な環境となったことで、長い時間かけてようやく獲得した「直観」がかえって邪魔になることが多くなってしまいました。
つまり、成功率を高めるために「不確かさ」の処理に関わる検討を省略するという人類の進化の結果が、現代人にとっては逆に失敗率を高めることにつながることが多くなったというわけです。
本書には、そのことを明らかにする事例(前出の「誕生日問題」を含む)が非常に豊富に紹介されています。
以下に、そのうちの一つの事例をあげてみます。
今では教育効果を最大にするためには「怒鳴って叱る」ということは避けるべきだという「科学的」な共通認識が出来上がっています。
しかしながら、ある訓練を行う監督だったり教官だったりが、「選手や訓練生が失敗したら怒鳴って厳しく指導すればその後いい結果を出す確率が高く、成功した場合に褒めたりするとその後悪い結果を出す確率が高くなる」ということを自らの経験から絶対のこととして確信していることがよくあります。
そんな彼らを「科学的」に説得するのが「平均回帰」という考え方です。
訓練中に「成功」するのと「失敗」するのはどちらもそれらが起きること自体は「偶然」です。
その上で、「成功」したら「褒める」というのと、「失敗」したら「怒鳴る」という二つの事象の後にどんなことが確率的に起こるのかを考えてみます。
一度目に「成功」するのも「失敗」するのもそれぞれは「偶然」ですが、その後に起こることは確率的には「平均」に近い結果が起こります。
つまり、一度目が「成功」した場合には、指導する人が怒鳴ろうが褒めようが、平均すると確実に「失敗」に近い値になり、一度目が「失敗」した場合には、同じく褒めようが怒鳴ろうが、平均すると確実に「成功」に近い値になるわけです。
つまり、監督だったり教官だったりが彼らの経験上「必然(やっぱり)」だと確信していたことは完全に「偶然(たまたま)」だったということです。
ですから、本来やるべきはそのような「偶然(たまたま)」に左右されずに純粋に最高に効果的な指導方法名何かを考えることに意識と時間を使うということなのです。
この例に限らず、本書は容赦なくこのように「直観」だけに頼る行動に対して警鐘をならしており、そのいずれもが「目からうろこ」とはこのことかと言った説得力のあるものでした。
特に、コロナ禍の最中に本書を読み、次の言葉を見つけた時にはその気持ちをより強くさせられました。
「医学的問題に関するものであれ、人間それも教養のある人間が極めて頻繁に信念と直観に騙されてしまう」
ちなみに、本書の発刊は2009年です。
その事実がこの言葉をより一層重いものにしているように思います。