
どこまでやったらいいのですか?
2026年8月16日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。
本日(2026年8月16日)の読売新聞朝刊の「人生案内」にサービス業に携わるものとして非常に興味深い論点が取り上げられていましたので以下に重要部分を引用しつつ考えたことを書きたいと思います。
「百貨店勤務の20代男性。先日、寝具を購入した来店客にプレゼント用の無料ラッピングを依頼されました。ただ商品が大きく、余裕をもって入るサイズのラッピング袋がなかったため、形が崩れぬよう慎重には入れたものの、ぱんぱんに膨らんだ状態の袋を渡しました。手渡す際は『このような状態ですがよろしいですか?』と確認もしました。翌日、購入した客から『渡した相手から(こんなラッピングの仕方があるか)と文句を言われた。どういうことか』と苦情がありました。相手の同意は得ていましたし、私としては手を尽くしたつもりです。プレゼントをもらった方も、多少気に入らない点があっても、渡した相手にわざわざ伝える必要があったのでしょうか。『社会に出れば理不尽なことだらけ』とよく聞きますが、納得できません。」
なぜ、私がこの記事の内容を「興味深い」と感じたかというと、それはこの問題を、物品販売業、特に通常よりもサービス期待が高まっていると自他ともに認めるべき百貨店勤務の方が「理不尽」な問題としてこの「人生案内」に投稿し、それをサービス業の経験のある専門家ではなく、哲学者が「自分自身の中でどういう折り合いをつけるかという話」として解説をしているということに着目したからでした。
確かに、質問者は「このような状態ですがよろしいですか?」と確認をし、購入者はそれを了承して購入したにも関わらずこの苦情が入れられたということで、理不尽さを理由に「どこまでやったらいいのですか?」とその心の置き場に悩んでいるのかもしれません。(人間ですからそのような気持ちは自然と湧き上がること自体は否定はできません。)
ただ前提として考えなければならないのは、これが百貨店での出来事だということです。
まず、「余裕をもって入るサイズのラッピング袋がなかった」という事実に、そのような商品を百貨店という通常以上の期待がかかっている(そして無料と言ってもその分のコストに見合う粗利を確保している)お店が今後どう対処するべきなのかを、会社として検討する機会を提供するために彼が上席に上げる必要があったのではないでしょうか。
そしてその結果、このケースが非常にレアなことであり、すべての商品をきちんとした形で入れることができるラッピング袋を用意する必要はないと判断されたのであれば、今後顧客がその商品のラッピングを希望したときにどう対応するのが会社として正解なのかをすべての店員に共有させる必要があったはずです。
なぜなら、購入者の同意があったかどうかは無関係に、この百貨店が「こんなラッピングの仕方があるか」と思われてしまうような不格好な贈物の購入元として認識され続けるリスクをこれからも内包し続けるのかどうかの問題となるからです。
もちろん、そのサービスを「どこまでやったらいい」のかについては、その会社が何を大切にするのかというブランドに対する個別の価値観に因ることになるわけですが、少なくともこのような「苦情」は、その個別の会社の個別の価値観を社員が共有理解するための最も貴重な機会であることは間違いありません。
つまり、「どこまでやったらいいのですか?」の答えは、それぞれの個別の会社が考える「あるべき姿」に近づくために必要なことを社員が共通して認識できるところまでということになるでしょうか。
ということで、今回の件で「理不尽」なことがあったとすれば、この店員さんがこの会社にとって最も貴重な機会をなきものにしてしまった点につきるのではないかと思うのです。









