イシューからはじめよ
2021年5月23日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
先日ご紹介した「シン・二ホン」という本に甚く感銘を受け、その著者である安宅和人氏の未来をとらえる力にほれ込んでしまいました。
「愚者は単純なことを複雑に説明する」「凡人は複雑なことを複雑に説明する」「賢者は複雑なことを単純に説明する」
とよく言われますが、著者は明らかに「賢者」だと思います。
そんな安宅氏をもっと知りたいと思い、彼がヤフーのCOOをつとめられていた2010年に書かれてベストセラーとなった「イシューからはじめよ」を遅ればせながら読みました。
本書のテーマは「知的生産の本質とは何か」です。
そして、著者はその「知的生産の本質」につながるカギとして「イシュー」すなわち「今本当に答えを出すべきこと」についてブレることなく考えることだとしています。
「アウトプット」=「方向性」×「能力」×「情熱」
と言われることがありますが、私は誤解を恐れずに言えば、このうちの「方向性」が「イシュー」であるととらえました。
なぜなら、この「方向性」がまともでなければ「能力」や「情熱」がいかにあっても、頓珍漢なことになるならまだしも、その頓珍漢さによったらむしろ大惨事を引き起こすことすらあると言えるからです。
だからこそ、この掛け算の一番最初に「方向性」が来なければならない。
これこそが「イシューよりはじめよ」だと。
そう考えると、日本人の「能力」と「情熱」が世界の中でも優れていると自他ともに認められるのにもかかわらず、生産性が圧倒的に低いと言われる意味も分かってくるような気がします。
本書は、「頭の良さ」に「方向性」の概念を真っ先に入れることを忘れている日本人は「イシューからはじめていない」という根本的な事実に私たちを引き戻してくれます。
具体的に、イシューからはじめるべきであることを説明している部分を本書から引用します。
「そもそも、私たちの目的は『質の高い仕事』をすることだが、その定義は二つの軸から成り立っている。一つは『イシュー度』、つまり根本的でありながらまだ誰にも結論が出されていない度合。つまり、この問題に答えを出す必要性の高さだ。そしてもう一つは『解の質』、つまりはそのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合だ。多くの人は、このマトリクスの縦軸である『解の質』が仕事のバリューだと思っている。だが、本当に重要なのは『イシュー度』だ。なぜなら、『イシュー度』が低ければいくら『解の質』が高かろうと受益者から見た時の価値はゼロに等しいからだ。」
いや、これはまさしく以前の記事でご紹介したロバートアトキンソンさんが主張する「シーツがピーンとしているサービスには、いくらも追加料金は払いたくないけど、アーリーチェックインには追加料金を払ってでも使いたい。(が日本の旅館のほとんどは全く逆のことをしている)」という日本の生産性に関する間違った視点そのものの説明になっていると思いました。
もう一度この計算式を確認します。
「アウトプット」=「方向性」×「能力」×「情熱」
いくら「能力」×「情熱」があっても、「方向性」が間違っていればお客さんにとっての価値はゼロどころか、マイナスになってしまいます。
やはり、著者の言う通り「イシューよりはじめよ」だと思います。