代表ブログ

ダイナミックプライシングの是非

2026年7月8日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

私は今まで「資本主義」を前提とするこの世の中で、需要と供給がマッチする最適価格の追求は「善」であると考える立場だと自認してきました。

何よりも、「神の手」によってそのどちらもが「納得」した上での市場取引はウィンウィンの関係で成り立っており、「犠牲者」が存在しないからという認識によるものでした。

それが、マルクス経済学者の斎藤幸平氏の「人新世の資本論」や「人新世の黙示録」などの著書を読むことで少々その認識に修正が必要なのではないかと思い始めたところでした。

そんな中、昨日(2026年7月7日)の読売新聞夕刊の「よみうり寸評」にその疑念に拍車をかけるような内容がありましたので、以下その該当部分を引用します。

「W杯の観戦チケットが高騰している。決勝戦の価格は150万円を超えるという。航空券、ホテル、ご飯代を足すと、、、空のかなたに瞬く数字に見える。要因は、授業が高まれば価格も上がる『ダイナミックプライシング』の導入にある。市場の原理とはいえ、豊かな人だけが夢に近づける格差社会の縮図に映る。地元開催に心躍らせてきた子供は多いだろう。会場が目の前にあるのに、熱気に手が届かないとすればあまりに切ない。七夕の短冊に『W杯に出場できますように』と書いて星に夢を託す子がいるだろう。『間近で観戦できますように』という願い事であれば、人間界の力で何とかならないものか。」

私は、初めて「ダイナミックプライシング」という仕組みを耳にしたとき(もともとは航空会社が1970年に導入した概念だったようですが、需要の変化によって価格が柔軟に変化する仕組みという意味ではインターネットが発達した2000年代になってから)、テクノロジーのおかげで本当に効率的な仕組みが生まれたと、歓迎したことを覚えています。

しかし、昨今は、コンサートチケットやスポーツ観戦チケットなどといった数が圧倒的に限られている商材の価格の高騰ぶり、そして極めつけが今回のW杯北中米大会ですが、その極端な状況をみると、犠牲者がいないはずだと考えていたこの仕組みには、実は多数の犠牲者は存在するのかもしれないと私を含め多くの人々が考えるようになったような気がします。

「何事もほどほどに」という姿勢が大切なのでしょうが、私たちの社会の前提となっている「資本主義」にはその「ほどほど」がとても難しいという性質があります。

その意味で、明らかに資本主義にはその限界が来ていると思い知らされる記事でした。

 

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆