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チベットわが祖国~ダライ・ラマ自叙伝~

2026年7月2日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日、女房の母がチベットからネパールにかけて旅行をしたことでチベット仏教に興味を持ち、ダライ・ラマ14世の自叙伝「チベットわが祖国」を読んで感動して本書を私にプレゼントしてくれました。

実は、私も高校生くらいの頃にブラッド・ピット主演の「セブンイヤーズ・イン・チベット」を見てからこの神秘の国(政治的には「地方」、というか中国の一部)にとても興味が湧き、いつか行ってみたいと思っていたので、その旅行をとても羨ましく思っていた私はすぐさま読んでみることにしました。

まずは、以下にチベットの歴史を少し長くなりますがおさらいしてみます。

7世紀にソンツェン・ガンポがチベット高原を初めて統一し、「吐蕃(とばん)」という王国の首都をラサに置いたのがチベットの歴史の始まりと言われています。

この国は当時の中国王朝である唐さえも圧迫する強大な武力を背景に、唐やネパールなど周辺国と婚姻関係を結び安定した国家運営をしました。その中で、これより少し前にインドより伝来した仏教がチベット固有の土着宗教であるボン教という呪術的な宗教と融合して独自に発達してきた「チベット仏教」がこの地に定着するように努力しました。

13世紀になるとモンゴル帝国の支配下にはいりますが、皇帝は政治的な保護の権力を行使し、チベット仏教の指導者はチベットだけでなく中国を含む全モンゴルに宗教的な影響を与えるというある意味対等な関係が成立し、その関係は近代まで続きます。

その歴史の中で、チベット仏教における大転換と言える出来事がありました。

それは、16世紀にモンゴルの首長アルタン=ハンがチベット仏教(ゲルク派)の高僧ソナム・ギャムツォをチベット仏教の最高権威者であり、代々転生されるとされる活仏(化身僧)としての「ダライ・ラマ」の称号を与えたことです。

そのソナム・ギャムツォが亡くなると、ダライ・ラマの称号は二代さかのぼって追号され、彼は「ダライ・ラマ3世」と呼ばれるとともに、ダライ・ラマが生前に預言した方角でその死後一年間に生まれた幼児を転生者として選ぶという方法が、本書の著者である法王ダライ・ラマ14世まで続いています。

ただし、中国とチベットが互いに干渉しない対等な関係は、辛亥革命によって成立した中華民国の時代から変わってしました。具体的には、中華民国がチベットの領有権を主張しチベットに侵攻、チベットのダライ・ラマ13世は独立を宣言してそれを撃退することに成功したのですが、1949年に中国共産党が中華民国政府に勝利して成立した中華人民共和国が1950年にチベットに軍事侵攻して、翌年に「チベット平和解放17条協定」を締結して全土を併合、チベット政府は遂に中国の支配下に組み込まれました。

それから9年間、ダライ・ラマ14世は、チベットの民衆に対して「非暴力」を貫き耐え続けるように訴え、民衆はそれに従い続けました。しかし、遂にはチベットの民衆の忍耐も遂に限界に達して中国に対する抵抗が始まり、10万人に近い民衆が犠牲になったことから、ダライ・ラマ14世は苦渋の決断として約80名の側近とともにインドへ脱出し、その後を約8万人のチベット人がインドへ亡命する決断をし、その後、インド北部ダラムサラに「チベット亡命政府」を樹立することをインド政府に認められます。

現在でも新疆ウイグル自治区と並んで、チベット自治区となったこの地では、中国による「中国化政策」がすすめられており、チベット亡命政府は、完全独立を放棄する代わりに、真の意味でのチベット自治を「中国国内」で実現することを意味する「中道」を提唱しながら中国政府と交渉を続けていますが、議論がかみ合わない状況が続いています。

本書の「まえがき」において、著者はチベットの民衆に対する「非暴力」の訴えが届き切らなかったことを生々しい悔しさとともに次のように述懐しています。

「私は、九年間にわたって当時なお、チベット政府の統治下にあったわが国民を、中国の圧迫に抗して武器を執らないよう、どうにか説得し続けてきた。なぜならば、私は、そのやり方は道義に反すると信じたからであり、またそれは双方に大破壊をもたらすであろうことを知っていたからである。しかしながら、すでに侵略されてしまっていたわが国東部においては、私もわが政府も国民に影響力を与えるのに必要な通信手段を、何ら持ち合わせていなかった。やがて、この地帯で中国に対する抵抗が起こったのである。最終的に言えば、国全体に及んだ侵略者たちの圧迫はもはや我慢ならないものとなり、わが国民の忍耐も、遂に破れた。(この件に関して)読者がそれぞれの結論を出してくれればうれしいと思う。」

ここで、ロシアによる侵攻に苦しむウクライナが自国の自由のために「無謀」ともいえる戦いを、世界を味方につけることで4年も続ける中で、今それが報われる可能性がゼロではないと思えるような状況にわずかながらでもあることを思えば、このダライ・ラマ14世の悔恨に対して少なからず疑問を挟み込みたくなる自分がいました。

しかし、その文章がこう続いているのを発見し、私はその考えを改めざるを得ませんでした。

「しかし、ここで一言付け加えておかねばならないのは、チベット駐在の中国代表たちが、私たちをどんなに残酷に扱ってきたとはいえ、私たちチベット人は、偉大な中国人に対して、いぜん、憎しみの感情を全く抱いていない、ということである。私たちの唯一の願いは中国を含んだあらゆる隣接諸国の人々と、平和に、そして友情をもって、暮らすことである。このことを、私は寛容と穏和を評価し尊重する全世界全ての人々に訴える。」

この続きの文章を読んだ瞬間、ダライラマ14世と日本の上皇ならびに今上天皇の存在が私の中で重なりました。

明らかに世界のいかなる政治リーダーから発せられるものとは異なるものを感じたからです。

おそらくそれは、国民と世界の安寧のために始終祈祈り続けることに自分の人生をささげるということを、自分自身の「意志」ではなく「宿命」として受け入れられ、それを実践し続けてこられたという点で共通する存在だからではないでしょうか。

 

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