
ニセコ化するニッポン
2025年3月24日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
1杯18000円のインバウン丼、1泊何十万円のホテル、「高くないよ」(外国人観光客)
「インバウンド」という「カタカナ日本語」とともに、このようなことが日本中で聞かれてもおかしくない状況になりつつあることの走りは「ニセコ」であろうということは私を含め多くの人が知ることだと思います。
ですが、本当にそうなのかを確認しに行ったこともありませんし、もし本当だったとしてではなぜそうなったのかについても一切の情報は持ち合わせていませんでした。
そんな中で目にした「ニセコ化するニッポン」というタイトルの本書は私の目を引き、すぐにアマゾンでポチりました。
まずはそもそもニセコがどんな場所なのか、少しだけ本書からその基本情報をいただきます。
「ニセコには、大量の外国人観光客が押し寄せている。2023年の外国人観光客の数は160万人ほど。前年度より150%アップしている。ちなみにニセコ観光圏に属する3町の人口合計は2万人程度だという。冒頭の価格にみられるように『物が高すぎる』問題の背景には近年、急激に進む円安の問題はないわけではないが、それだけでは説明できないほどのインフレが起きている。また、街の中で見られる看板のほとんどが英語で、使う言葉も英語であり、『日本であって日本ではない』のがニセコだ。」
本書のタイトルは「ニセコ化するニッポン」なので全国にこのような場所が増えている、つまりニセコで起きていることは日本の縮図だと著者は考えているのですが、そうなるとこの「ニセコ化」という概念をはっきりさせる必要がありますが、著者はそれを以下のように定義しています。
「ニセコ化」とは、「『選択と集中』によってその場所が『テーマパーク』のようになっていく現象」である。
ではまず、「選択と集中」について。
「最初に、『選択』すなわち特定の顧客を予め選ぶことがくる。例えばニセコの場合は明確に『富裕層の外国人観光客』である。それ以外の人を排除するということになるが(もちろん出入り禁止にするということではない)、それは上記の価格設定によってそれらの値段を普通と思う人以外は自動的に排除されることになる。次に『集中』が必要になる。そのような人たちが満足できるようにしなければビジネスが続かないから。だから彼らに突き刺さるサービスを集中的に行う。超高級ホテル、高級食材やヴィ―ガン向けの取扱いのある商店、英語の分かる外国人従業員など。ちなみに、これらの前にキラーコンテンツとしての『パウダースノー』の存在が大前提だ。世界的にも素晴らしいここにしかない雪質という偶然の地の利がここにあることを見極めたうえで、選択と集中を行うということだ。」
この「選択と集中」が行われた結果、「テーマパーク化」が進んでいく。ここがニセコ化の定義の重要な部分だ。
「テーマパークとは、日常とは切り離された別世界が作られている場所のこと。ある一つの世界観を設定し、それに基づいて統一的にその世界観に合うものだけを集め、合わないものを排除するというものだ。だが、『テーマパーク化』の意味はディズニーランドのような純粋なテーマパークとは少し違う。なぜなら、単なるテーマパークはその土地の文脈を無視してゼロからその世界観を作るものだから。ニセコ化における『テーマパーク化』は、その世界観の最も重要な構成要素がその土地の強み(ニセコの場合はパウダースノー)にフォーカスするからだ。」
このことを理解した上で、ニセコ化した日本の観光地をいくつかあげます。
「豊洲千客万来」
その場所の強みはなんといっても日本有数の豊洲市場に隣接していて新鮮な海鮮が食べられること。選択と集中に関してはニセコほどではないけれども18000円のインバウン丼に耐えられる外国人観光客に対して徹底して日本っぽさを前面に押し出すサービスを提供する。
「新大久保」
その場所の強みは日本有数のコリアタウンであること。選択と集中に関しては、「韓国的なるもの」を求める人々のニーズに応じるという「選択」をしながら、そこに「集中」的に彼らを満足させる店を新たに開いていくという形で、最初に選択の意図があったのか、それとも集中があったのかが微妙な自然発生的なものであるという点でニセコとは異なる。そして「韓国的なるもの」を求める人々とはほぼイコール「中高生くらいの女の子たち」であるため、結果的に「おじさん」たちには居心地の悪い場所となり、自然に排除が進んでいく。
そして、このような「ニセコ化」的な考え方は特定の観光地にとどまらず、完全に土地の文脈から独立した全国的なチェーン店舗などにもみられるものです。
「スターバックス」
その場所の強みは徹底して「オシャレな空間」であること。選択と集中に関しては、そこにいそうなタイプとして「ちょっとおしゃれで都会的、かつそれを見せびらかす的な人」のイメージを人々に植え付け、その空間らしさを作り特別感を高めて「スタバだから行く」雰囲気づくり。確かに通常のカフェよりも高い価格帯ではあるが、金額よりもそのイメージを押し付けることでそれに合わない層を排除している。
このように本書に挙げられている「ニセコ化」の事例は基本的に成功事例ばかりとなっていますが、著者は必ずしもそれを絶対的に「よいこと」だとは捉えられていません。
なぜなら、「選択と集中」は「排除」を伴い、それは「多様性」の喪失につながりかねないからです。
つまり、世の中の方向性がそちらに向いているうちは優位性が続くでしょうが、一旦そこに変化が起こった時、それは直、劣位性につながるからです。
例えば、イトーヨーカドーをはじめとするGMS事業の多くは、かつて高度成長期時代の世の中が求める「繁華街の駅に近く」「なんでもそろっている」という方向性に「選択と集中」した結果、大きな成功を収めました。
それが、世の中が「ロードサイドにある」「的を絞った専門店」という方向性になった今、苦境に陥っていることからも分かります。
そう考えると、ビジネスの成功というのはいつの時代も「選択と集中」による「排除」の論理によってその時代に最適な仕組みを作り出す時限的な評価に過ぎないといえるのではないかと思えてきます。
つまり大切なのは、「選択と集中」を進めながら、その方向性が社会の求めと合致しているかどうか常に自己チェックを怠らないという姿勢なのではないかと。