三行で撃つ<善く、生きる>ための文章塾
2022年6月5日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
「あの人の文章はちょっといい」と言われるレベルの文章書きには誰でもなれる。
そんなことを可能にするために「安くてよく効く」文章テクニックを25発発射してくれるのが今回紹介する「三行で撃つ」です。
著者は朝日新聞の編集委員でありながら文章を教える私塾を主宰する近藤康太郎氏です。
私のことを言えば、このブログを書き続けて早17年、この記事で実に2,291記事目にもなりましたが、とてもそのレベルには達しません。
そんなわけで、「安くてよく効く」文章テクニックを簡単に教えてくれるという著者の甘言にコロッと騙されて、というのが本書を読み始めたというのが偽りのない動機です。(笑)
その様な安直な動機で読み始めたのですが、本書の実際の内容はまさに「文章道」とも言うべき非常に厳しいものでした。
本書では、「良い文章」を書くための全25項目にわたる「文章道」の掟を一つずつ解説していくものですが、この記事でそのいくつかをご紹介してそのエッセンスに触れたいと思います。
まずは「三行で撃つ」べしという掟。
つまり本書のタイトル自体がその第一の掟となっており、夏目漱石のような文豪でも最初の三行、いや二行に「吾輩は猫である。名前はまだない。」というどこまでも読者の関心をを引く工夫を凝らしているわけで、凡庸な人間が文章を書き始めるときに凡庸な書き出しでよいわけがないということを表すことで「謙虚さ」を求めています。
それから「常套句(オノマトペや流行語も含む)」を使ってはならないという掟。
これは一見すると「謙虚さ」に反するように思えます。
なぜなら、「抜ける様な青い空」「ほっこり」「エモい」という既に自分以外の優秀な先人に紡ぎだされてすでに世の中に認められた表現を使ってはならないというのですから。
著者は次のようにこの掟の趣旨を語っています。
「これらを使うとは、世間に言葉を預けることだ。言葉を預けるとは、自分の頭を自分の魂を世間に預けることだ。うわついて、邪悪で、移り気で、唾棄すべき、しかしこれなしにはどんな人間も生きられない『世間』という怪物に、自分をそのまま預けてしまうことなのだ。」
この25項目にわたる著者の掟はそのどれもが書き手が「書く」という活動の本質に拘り抜くことをもとめるものです。
世の中には「常套句」があふれており、それらによって「世間」が作られ、多くの人間は全体として同じようなものの見方をするようになります。
そんな中で、私たちが「わざわざ『書く』」のであれば、世間とは違うオリジナルの何かを提供するのでなければならないというわけです。
冒頭の「『あの人の文章はちょっといい』と言われるレベルの文章書きには誰でもなれる。」という著者のリップサービスにコロッと騙されて本書を読み始めた私ですが、それとはあまりに相反する掟の厳しさを突き付けられて、「平服でお越しくださいと招待状にあったので普段着で行ったら自分以外は皆燕尾服だった」ようなとてつもない居心地の悪さを感じてしまいました。(恐縮ながらここは自ら紡いでみました(笑))
それでも、著者の次の一言で救われた気がしています。
「文章を書くのは皆が見ていること、皆が感じていることを、見ないため、感じないためだ。感性のマイノリティーになることが、文章を書くことの本質だ。今は分からずとも、いつかこの言葉が身に染む時が来る。あなたが書くことをやめなければ、の話だが。」
いつかこの言葉が身に染む時が来ることを信じ、書き続けていきたいと思います。