
世界で一番貧しい大統領 死去
2025年5月16日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
以前にこのブログの「持続可能な生活」という記事の中で、「世界で最も貧しい大統領」と言われるウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領の国連での「持続可能な社会」についての演説をご紹介して、以下のようなことを書きました。
「その背景にある考え方として見えてくるのは『使い捨て・浪費』からの脱却は、『貧困』とは違う。ということ。逆に言えば、持続可能性の見いだせない『使い捨て・浪費』からくる『便利』は『幸福』とは違う。ということです。『貧乏』を楽しんで、自分の生活が持続可能性のあるものだということを自覚しながら生活をおくることは『幸福』につながるということを教わった気がします。」
先日(2025年5月14日)、そのホセ・ムヒカ氏が亡くなったという以下のようなニュースがありました。
「ムヒカ氏は1935年に貧しい家庭に生まれ、貧困や格差に矛盾を感じて20代のころから反政府ゲリラ組織に参加し、軍事政権の下で10年以上刑務所に収監されました。ウルグアイが民主化した後、1990年代から左派の国会議員として活動し、2010年から5年間、大統領を務めました。大統領在任中も農場での生活を続け、そのつつましい生活ぶりから“世界一貧しい大統領”とも呼ばれ国民から親しまれてきたほか、大量消費社会を鋭く批判したスピーチは各国で翻訳され、日本でも人気を集めました。ムヒカ氏は晩年はがんと闘病し、最近は緩和ケアを受けていると伝えられていましたが、自らの農園で89歳で死去しました。」
この中で、「反政府ゲリラ組織に参加し、軍事政権の下で10年以上刑務所に収監」との記述がありましたので、この時代の彼について知りたいと思いググったところ、こちらのウェブサイトを見つけましたので該当部分を以下に要約引用します。
「二十世紀に入ると、ウルグアイではスイスをモデルにした社会経済改革が行われ、南米で唯一の福祉国家となって発展しました。民主化も進んで安定し、一時期は『南米のスイス』と呼ばれたほどです。ところが、大土地所有制や畜産業中心の経済体制を変えることができず、工業化にも失敗します。それでも第二次大戦中や戦後復興期は輸出が好調だったのですが、1950年代半ばから経済が低迷し、政情が不安定化しました。そこで1960年代半ばに登場したのが、南米最強の都市ゲリラといわれたツパマロスです。ホセ・ムヒカ氏はこれに加わりました。1935年生まれの彼は家が貧しく、家畜の世話や花売りなどで家計を助けていましたが、30歳くらいでゲリラとなったのです。ツパマロスが反政府攻撃を強めるが、ウルグアイ軍部は政治介入を深め、内戦を終結させます。これで軍部の発言力の強化が進み、1973年にはクーデターによって政権を掌握しました。76年に就任したメンデス大統領は新自由主義的な経済政策を掲げる一方、労働人口の20%が治安組織要員という極端な警察国家体制を敷いて国民を弾圧しました。81年には軍部が軍の政治介入を合法化する憲法改正を狙いましたが、これは国民投票で否決されます。85年に民政移管が実現し、ようやく民主主義国としての歩みが始まったわけです。2005年にはタバレ・バスケス氏が大統領となって初の左派政権を樹立します。2010年にはその政策継承を掲げたホセ・ムヒカ氏が大統領となりました。」
左派、すなわち社会主義的な思想によってゲリラメンバーとして政府に対抗した過去は、あの「好々爺」のイメージからはなかなか想像がつきにくいですが、実際に彼は国会議員おおび大統領就任期間を通じて、
「知人からもらったフォルクスワーゲンの1986年型ビートルを自ら運転して出勤し、報酬のほとんどを寄付し、農業学校を運営して子どもたちに農業を教える取り組む」
など、文字通りの「社会主義思想」実現のために一生をささげた人だったのだと、彼の死去のニュースに際して改めて知ることができました。
ご冥福を心よりお祈りいたします。